連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

(4-1)変わる家族 好きなスタイル選択へ
  • 印刷

 震災は、日本の家族が抱える問題を顕在化させた、との指摘がある。

 神戸市東灘区のマンションの一室。女性向けのマナー講座などを主宰する東山千絵さん(35)が、二月半ば、カウンセラーらと始めた電話相談は、昼夜を問わずベルが鳴った。

 「被災して家は大変なのに、夫は仕事ばかり。子供と一緒に死にたい」

 「夫の親を引き取ったが、世話をするのは妻の私。夫は何も相談に乗ってくれない」…。

 受話器を握り続けた東山さんは「理想の家族像を夢見続けてきた人たちが内抱していた問題が、一気に噴き出した」と感じる。

    ◆

 戦後、新民法は「家制度」を廃した。戸主権も、跡取りが財産を継ぐ相続制度もなくなった。家父長制から、夫婦中心の家族への転換だった。

 「制度としての家族が国から自立し、集団としての家族になっていった」と指摘するのは、甲南大の野々山久也教授である。その集団は、理想を求めて走り始める。

 昭和三十年代。高度経済成長の始まりは、サラリーマン社会の幕開けでもあった。「三種の神器」のそろった家にサラリーマンの夫、専業主婦の妻、子供がいる家族スタイルが理想視された。公団住宅に「ダイニング・キチン」が登場し、”団地妻”が女性のあこがれにもなる。

 が、そうした「マイホーム主義」は、家族と外とに境界を作り出す流れとも重なった。

 親類、近隣との接触が減り、地域の人間関係は薄れた。昭和四十年代、マイホームの中に見え始めたのは、密室での子育てに悩む母親たちの姿・。

 人間関係の希薄化は昭和五十年代になって、家族にも及ぶ。仕事、勉強、趣味に忙しい家族は、家で共にする時間をほとんど持たなくなった。食事さえも全員が別々の時間にとる。個人が家族という集団からも自立し始めた。

    ◆

 震災は、半世紀の間「自立」を志向してきた家族に、「家制度の中でのせめぎあい」が残っていることを顕著に現した。兵庫県立女性センターの清原桂子所長は「長男、嫁、夫、妻といった役割意識が自分の都合のいいように顔を出し、家族の関係がぎくしゃくするケースが目立つ」と指摘する。同センターが震災後半年で受け付けた人間関係をめぐる相談は、六百件以上。そのうち九割は離婚につながる夫婦間の問題だ。

 「戦後のサラリーマン社会では、家族が時間、空間、体験を共有して人間関係を紡ぐことができなくなった。震災で、その共有を体感してきずなを強めた家族の姿が強調されたが、溝を深めた家族も多かった」

 「阪神・淡路大震災と家族」と題した事例研究をまとめた野々山教授は「戦後五十年を経て、『集団としての家族』は『ライフスタイルとしての家族』に変わりつつある」と見る。個人が「好きなスタイルの家族」を選ぶ時代への変化だ。

 震災後の家族は、家族の行方を占うことになるのだろうか。(戦後50年取材班)

1995/8/13

 

天気(9月7日)

  • 33℃
  • ---℃
  • 20%

  • 37℃
  • ---℃
  • 40%

  • 35℃
  • ---℃
  • 20%

  • 35℃
  • ---℃
  • 30%

お知らせ