社員六十四人をほぼそっくり日本に残したまま、家族を連れて米国に移り住んだ社長がいる。
神戸市西区に本社を置くパソコン関連機器メーカー「カノープス」の山田広司社長(42)。パソコン国内首位、NECの規格に合わせ高性能の商品を開発、創業十三年目の今年、年商は三十五億円に達する。その成長企業を率いるトップが、なぜ・。
わけは、こうだ。国内のパソコンメーカー数社が米IBM互換機を発売、NECに攻勢をかけた。将来、自社の売り上げにも波及しかねない。打つ手があるとすれば技術開発だが、最新の動向を探るなら神戸にいてはだめ。やはり米国だ、となった。
「技術に国境はない。アメリカの技術を吸収しないと、生き残れない」
山田社長はそこで、半導体産業の発祥地、カリフォルニア州・シリコンバレーに研究開発拠点を設けることを決断。震災直後の二月、子会社を創立し、自ら社長に就いた。
生活の場まで移したのは「現地の研究者と人脈をつくるため」という。
「開発目標さえあれば、神戸でも仕事はできる。問題は、それをどう探すか。米国には事業資金や人材を得やすい土壌があるから、新技術を練る研究者も多い。彼らと同じ町に住み、集団の一員になれば、情報も入ってくる。これは神戸では無理だろう」
新製品も数カ月で色あせるハイテクの世界。情報過疎は致命傷になる。本拠地は神戸から動かさないが、山田社長は、子会社の社長に専念するつもりだ。
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人材派遣業最大手「パソナ」グループの南部靖之代表(43)は震災から三日目、神戸に入ってショックを受けた。あまりの惨状に、何もしないわけにはいかない、と思った。
以来、ニューヨーク郊外の自宅と神戸を往復するようになった。月の半分は被災地で働く。
神戸・北野の生まれ。学生時代から始めた派遣業で成功するが、八年前、「規制の多い日本では面白いことができない」と、家族と渡米した。国内の仕事は、東京の本社で社長を務める父らに任せている。
帰国して「まず雇用だ」と考えた。「役所の計画は時間がかかる。金も知恵も出し、動く者がないと復興は進まない」
早速、社員百人でチームをつくり、全国から求人情報を集め、求職相談の窓口を開設した。紹介料はゼロにした。
だが、法の壁で、紹介できる職種は限定される。労働省に出向き「時限措置でもお願いできないか」と掛け合ったが、返答は「結局、利益が目的なのでは?」
反骨心に火がついた。「役所に頼れないなら、自力で」と、ベンチャー企業の育成で経済復興を後押しするアイデアを発案。総額二億円の援助資金を用意し、ニュービジネスの企画案を公募した。
「元来、神戸は豊かな町。消費者が支持する商売のタネが必ずある。成功すればお金が動き、雇用もできる。もうかる町にするのが、復興の第一歩ではないか」と南部代表は話す。
企画案は二百件近く集まった。その一つひとつに目を通す。「面白いのが多い。僕がやりたいほどだ」
事業化される採用案は、九月中旬に決まる。
1995/8/18