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(5-1)動脈の転機 高架撤去に現実論の壁
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 「阪神高速道路神戸線は全面的にやり直す時点で地下化すべきである」

 六月二十九日、神戸市復興計画審議会は計画案の答申に特記事項を加えた。しかし、翌三十日に決まった復興計画で、この表現は消えた。神戸線は「早期復旧」としか書いていない。

 倒れるはずがない、とされていた高架高速道路の倒壊は、阪神大震災を象徴する光景となった。その復旧は「都市のあり方にかかわる」と論議を呼んだ。

 「ひょうご創生研究会」(会長・新野幸次郎元神戸大学長)は三月末、神戸線撤去を提言。「地球環境の回復と自動車対策や交通政策の転換を示し、震災復興のシンボルプロジェクトに」とした。

 しかし、行政の方向は既に決まっていた。

 神戸市の復興計画づくりのためのガイドライン検討委員会。複数の学者が創生研と同じ観点から地下化、掘割化を主張したが、論議途中の三月二日、県知事、沿道各市長は、阪神高速道路公団に神戸線の早期復旧を要望した。

 委員の一人は振り返る。「意見をまとめる段階では、復旧は既成事実化していた。矛盾した言い方は難しかった」。神戸市サイドからは、復旧事業は予算がつくが、地下化などは新規事業になり、何年かかるか分からないとの「現実論」も出された。産業復興、神戸港再生のために-との方向は変わらなかった。

 建設省近畿地方建設局幹部は「内部では早期復旧を前提にした議論しかなかった」という。しかし、個人的意見を聞くと「世界のすう勢を見れば」と答えた。

 米国サンフランシスコを襲ったロマプリータ地震後、二階建て高速道路は撤去された。住民は道路より環境や景観を選んだ。

 「自動車交通の見直しは世界の潮流だ」と創生研メンバーの小谷通泰・神戸商船大助教授は指摘する。「ヨーロッパでは都心から車を締め出す動きが出ている。産業優先の時代からの転換が必要ではないか」

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 震災前、一日約二十万台が通過していた阪神高速神戸線と国道43号線。交通の動脈は経済成長と歩調を合わせて整備された。

 43号線は、昭和二十一年に計画決定され、東京オリンピック前年の三十八年、県内全線が開通。都市間を結ぶ五十メートル道路は全国初だった。同年、神戸線が着工。海岸部に建設の案もあったが、「大阪万博までに」の至上命令で、43号線の上を走る高架道路とされた。

 戦後の「豊かさ」のシンボルだった車。しかし、幹線道整備とともに公害が深刻化した。五十一年、沿道住民が起こした「43号線訴訟」は、道路行政への初の異議申し立てとなった。

 それから十九年。最高裁は国、公団の責任を認めた。いわば43号線、阪神高速を”欠陥道路”と断じた。

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 高架高速道路の倒壊、43号線建設時の無理な区画整理など、震災で噴き出した問題。そして、同じ年に出た最高裁判決は産業優先の車社会をあらためて問う。(戦後50年取材班)

1995/8/15
 

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