神戸の資産家・池長孟(はじめ)(1891~1955年)といえば、南蛮美術品の収集家。戦後、その7千点以上を神戸市に寄贈した。学校の教科書でもおなじみの礼拝画「聖フランシスコ・ザビエル像」も、池長が多額の資金と執念をもって入手した逸品で、これらのコレクションを大きな軸に開館したのが、神戸市立博物館である。
池長は、同館の前身である市立神戸美術館の南蛮美術総目録の序文で、戦火を免れた自らの収集品に関連して記している。
「バカげた戦争を始めた。美術館などは無用の長物だ、そんな金があるなら飛行機の一機でも寄付しろという」「私の生涯をかけた大事業」「将来必ずや歓喜してもらえる時期に達することを私は確信する」
戦前、海外で見聞を広めた池長は、日本の文化施設の貧弱さを憂えていた。「能力ある者は能力を、知識ある者は知識を、金ある者は金を、最も適切有効最大価値に用いて世を益することが各人の義務」との人生観の下、先祖から譲り受けた家や土地を売り払いながら収集に没頭した。転売して利益を得る気は毛頭ない。晩年、資産はほとんど残らなかったという。
本人や家族の心情を的確に察することはできないが、実に粋な生涯だと思う。池長家は神戸一帯に土地を有した地主で、池長の養父、通は私財を投じ、道路や水道設備など、公共のインフラ整備に尽力した。資産を増やすよりも重要な美学が、彼らにはあったようだ。
養父の亡き後、池長が資産の適切な使い先として、初めて白羽の矢を立てたのが、今、話題の植物学者牧野富太郎への援助だ。池長の眼力の高さを毎日、NHK連続テレビ小説で感じさせてもらっている。
