意外な判決に耳を疑った。
旧優生保護法(1948~96年)下で障害を理由に不妊手術を強いられたのは憲法違反だとして、宮城県の60~70代の女性2人が国に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、仙台高裁は原告側の控訴を棄却した。
全国の地裁や高裁に提起された同様の訴訟で、原告は5連勝中だった。争点はいずれも「除斥期間」を認めるかどうか。通常は20年で賠償請求権が消滅するが、国などが優生施策を推進したため差別や偏見を助長し、被害回復を妨げたと断じた。
兵庫県内の5人による訴訟の控訴審判決では「除斥期間の適用により賠償責任を免れることは、憲法が容認しない」とし、国の対応を厳しく批判した。
仙台高裁の判決でも原告勝訴となれば、国も救済の道筋を探らざるを得ない。そう考えていた。だが結果は、これまでの流れに水を差す内容だった。
仙台高裁が除斥期間を認めた理由は、原告が長らく人権救済の申し立てなどに携わり、提訴が著しく困難とは言えないからだという。国が差別を助長しておいて、それに立ち向かったから認めないというのは、あまりにも理不尽ではないか。
国の施策にならい、兵庫県も66年以降に「不幸な子どもの生まれない県民運動」を推し進めた。神戸新聞も当時は運動に期待する社説を掲載した。
差別意識は今も底流に残る。2016年に相模原市の知的障害者施設で入所者19人を殺害したなどとして、死刑判決が確定した男も、事件前に「障害者は不幸を生む」などと繰り返し発言していたという。
「なぜもっと早く提訴しなかったのか」と原告を責める資格は国にはない。一日も早く責任を認め、救済を急ぐべきだ。
