34年前を思い返す。
中国・北京の天安門広場に集結した学生らが武力弾圧された「天安門事件」が起きたのは1989年6月4日だった。人民解放軍が武力鎮圧に乗り出し、多くの命が奪われた。
当時、祖国の民主化を求める学生らの運動は世界に広がり、神戸でも中国人留学生が街頭で声を上げていた。私たちもそれを記事にして掲載した。
だが、天安門の「血の弾圧」が伝わると空気は一度に凍り付いた。留学生の表情は青ざめ、紙面に写真が掲載された学生は「なんで私の写真を載せた」と言って身を震わせた。
軍が国民の中に戦車を突入させ、逃げる人たちを容赦なく銃撃する。あまりの事態に私たちも驚愕(きょうがく)し、おののいた。
「学生を見張る公安関係者がひそかに入国した」
そんなうわさが電流のように中国人の間を走った。
その2年後、私的な旅行でニューヨークを訪ねたら、中国人留学生らが似顔絵描きをしている。「日本人です」と英語で話しかけて談笑し、つい片言の中国語を使ったら、顔から笑いが消えた。もう何を言っても下を向いて返事をしない。
日本人をかたる中国当局者と疑って警戒したようである。事件がもたらした恐怖の深さに思いが至らなかった不明を、今も深く恥じるばかりだ。
反体制派を監視する中国の秘密警察拠点が米国で摘発されたのは、天安門事件から34年たった今年である。中国政府は否定するが、人権団体によると拠点は日本を含む世界53カ国に置かれているという。
恐怖で批判を封じ、支配する。人々の笑顔を奪った悪夢のような出来事は、いつになったら「過去」になるのだろう。
