14年以上にわたって逃げ続けた女がいた。1982年に松山市で発生したホステス殺人事件で、無期懲役の判決を受けた福田和子元受刑者=服役中に死亡。49歳で逮捕された時、時効は3週間後に迫っていた。
逃亡先から実家に電話をかけ「逃げ切ってみせる」と宣言した。潜伏先では複数の偽名を使い分け、しにせの菓子店に“嫁入り”までしていたが、彼女は逮捕の瞬間まで「福田和子」の罪を自覚していた。
30歳になった男は、17歳の自分とどう折り合いを付けているのだろうか。2010年、神戸市北区で高校2年の堤将太さんが刺殺された事件で、約11年後に逮捕された元少年に対する裁判員裁判の判決公判があり、神戸地裁は懲役18年(求刑懲役20年)を言い渡した。
男は公判で「17歳の時の私は…」と繰り返し、今の自分との断絶を強調するかに見えた。弁護側は判断能力が低下し、心神耗弱状態だったと主張した。
地裁は少年法を踏まえ、名前などを伏せて審理した。一方で、判決は有期刑の上限に近い18年を言い渡した。空白の11年が被告の有利に働かないよう配慮したとも考えられる。
裁判は責任能力が焦点となり、被告側の主張は「詐病」として退けられた。もし元少年が、自ら出頭していたらどうなっただろう。「不良のように見える同年代の男性への憎しみ」という理解しがたい動機にもていねいな審理で光が当てられ、自分の心に向き合うきっかけを得られたかもしれない。
11年の歳月は、被害者の家族にとってとてつもなく重い。「なぜ殺されたのか」という疑問への答えも得られないままだ。何とか空白を埋める手だてはないだろうか。
