日々小論

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 「前」か「後」か。そんなことが気になっている。

 今月8日、新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが「5類」になった。季節性インフルエンザと同じ扱いという。街には人が戻り、マスクを外す人も見かけるようになった。「コロナ禍前の日常が戻った」との言葉も耳にする。

 確かにコロナ禍で断絶していた風景が、時間が、修復されていくように肌で感じる。喜ばしいことだ。なのに違和感がある。つらつら考えてみると、「前」という表現が心に引っかかっていることに気付いた。

 コロナ禍にあって、多くの命が、暮らしが、経済活動が、そして夢が奪われた。社会や人の価値観に変化がないわけがないと無意識に思い込んでいたようだ。いや、願望だろうか。だから、表面上は何事もなかったように流れ始めた社会の“復元力”に思わず立ちすくむ。

 では、「コロナ後」と捉えるならどうか。変異や未知のウイルスの脅威がなくなったわけではない。備えは怠れない。とするならば、実は次の感染爆発の「前」にいるのではないか。思考の堂々巡りが続く。

 「戦後」はどうだろう。ずっと使ってきたし、これからも使い続けることができる言葉であってほしい。しかし、長引く戦争や、防衛力の強化が叫ばれる昨今。「新しい戦前」ともささやかれる。観念的な言葉遊びだと笑い飛ばせればよいのだが、とげのように突き刺さる。

 流れに身を任せているうちに、知らず知らずのうちに、世界は変容していく。このまま道を引き返せなくなるのではないか、とひそかに恐怖する。

 「前」でもあり「後」でもあるこの場所で。そこは足元を見つめ直す基点にもなる。

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