震災直後の被災地を訪問された天皇陛下の写真を見ながら当時を振り返る齋藤富雄さん=神戸市中央区諏訪山町
震災直後の被災地を訪問された天皇陛下の写真を見ながら当時を振り返る齋藤富雄さん=神戸市中央区諏訪山町

 天皇・皇后両陛下は、被災者に寄り添うことを自らに課してこられた。阪神・淡路大震災後の兵庫県にも足を運ばれ、象徴天皇として被災者と共に在る姿を示し、絆をつむいでこられた。被災地訪問の裏方を務めた元県副知事、震災を機に皇后さまとの交流が始まった元県立大副学長が、平成の終わりを前に、足跡に思いを巡らせている。

■被災者と同じ弁当希望、痛みを理解/被災地訪問の裏方を務めた齋藤富雄さん

 元兵庫県副知事の齋藤富雄さん(74)=神戸山手大学長=は県庁時代、天皇、皇后両陛下をはじめ、皇族の兵庫訪問を長く担当した。間近で接した両陛下の印象を「同じ空気をまとい、お二人で一つの姿を形づくられている」と語る。

 齋藤さんの手元には、最も思い出深い訪問の記録として、今も大切にしているアルバムがある。写真の撮影日は1995年1月31日。阪神・淡路大震災直後に両陛下が被災地を見舞われた様子が収められている。

 当時、県知事公室次長兼秘書課長だった齋藤さん。通常、両陛下の訪問を受ける準備は1年前から始まるという。「震災時は、宮内庁から『両陛下が被災者を激励されたい』との打診があり、1週間足らずでお迎えすることになった」

 被災地訪問の準備は、「例外中の例外」の連続だったという。

 「十分な接遇ができる環境でなく、不安だったが、両陛下から『特別なことはしないように』と、被災地に負担をかけない配慮をいただいた」と振り返る。

 移動はバス1台。昼食は被災者と同じ弁当を希望された。避難所に両陛下用のスリッパを用意したが、使用されなかった。自ら膝をつかれ、被災者と同じ目線で声をかけられた。

 齋藤さんは「被災者の気持ち、心の痛みを理解していただいているからこそ、違和感なく、ごく自然な形でそうされているのだと感じた。あの場にいた人はみんな感じ取ったはずだ」と強調する。

 驚きもあった。震災で焼け野原となった神戸市長田区の菅原市場でのこと。皇后さまがスイセンの花束を手向けられた。「皇居からお持ちされていることを、全く知らなかった。被災地に寄り添おうという心遣いだと思った」

 平成の終わりを前に、改めてアルバムを見返して実感したことがある。

 「子どもの頃、憲法に『象徴天皇』と規定されていることを習ったが、象徴の意味は分からなかった。被災地訪問の時のお二人が、象徴としての在り方を体現されていたんだと思う」(段 貴則)

【さいとう・とみお】1945年生まれ。兵庫県出石町(現豊岡市)出身。関西大法学部卒。63年に兵庫県庁入り。96~2001年に危機管理を担当する初代防災監、01~09年に副知事。19年から神戸山手大学長。

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■災害のたびに連絡「看護の状況教えて」/阪神・淡路を機に皇后さまと交流、南裕子さん

 元兵庫県立大学副学長の南裕子さん(76)=高知県立大学名誉教授=は二十数年間、看護や災害ボランティアの分野で皇后さまと交流してきた。きっかけは阪神・淡路大震災だ。

 95年1月、神戸市西区の自宅マンションで激しい揺れに跳び起きた。当時、学長を務めていた明石市の兵庫県立看護大(現県立大看護学部)には日本看護協会の対策本部が設置され、看護職員を医療機関や避難所に送る調整役を担った。

 翌年秋、日本看護協会の50周年記念式典が東京で開かれた際、皇后さまから「大変な経験をされていますね」と声を掛けられた。

 その式典で、皇后さまが述べられた言葉に感銘を受けた。「看護の仕事には人間体験への深い洞察とともに、人を不安や孤独に至らしめぬためのさまざまな心遣いが求められている」

 南さんは振り返る。「人に寄り添い、医術以外の全ての過程を担う。この職業の本質をはっきりおっしゃられた。なんという方なのだろうと思った」

 あるとき、紙一面にびっしりと手書きされたあいさつの原稿を見た。「ものすごいエネルギーをかけて、言葉をつくられている」

 その後、災害発生のたびに皇后さまから連絡が来るように。2011年3月の東日本大震災では、発生翌日に携帯電話が鳴った。「何が起きているのでしょうか。被災地の看護職の状況を教えてほしい」。先遣隊が向かっていると伝えると「一日も早くそばに行きたいけれど、迷惑をかけてはいけないから」と述べられたという。

 母乳が出ない母親のためミネラルウオーターでミルクを作るというニュースを見られ、「ミルクを溶かすのに適切かしら」と電話で聞かれた。「細やかな、その人たちの生活を通した心のケアを考えておられる」

 災害が起きた際のやりとりでは、必ず阪神・淡路の被災地が話題に上る。「ここが原点なんだな、と改めて思います」と南さん。

 皇后さまは「生涯、看護に関心を持ち続けたい」と明言されている。「体と気力と頭がついていく限り、この仕事に関わらなければ」(吹田 仲)

【みなみ・ひろこ】 1942年、神戸市生まれ。聖路加看護大学教授などを経て、93年に兵庫県立看護大学長。2011~17年、高知県立大学学長。日本看護協会長、日本災害看護学会理事長などを歴任した。

(2019年4月29日 神戸新聞)