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青信号が続く市道十二所前線。姫路市中心部では国道2号の西行き車線として機能している=姫路市北条口2(撮影・大山伸一郎)
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青信号が続く市道十二所前線。姫路市中心部では国道2号の西行き車線として機能している=姫路市北条口2(撮影・大山伸一郎)
混雑する姫路バイパス開業前の国道2号=1973年3月
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混雑する姫路バイパス開業前の国道2号=1973年3月

 JR姫路駅(兵庫県)の北約600メートル、中心市街地を東西に貫く国道2号を車で走る。周辺約3・5キロは東行きの一方通行だ。運転中、不思議な感覚にとらわれた。前方の信号が次々と赤から青へ変わっていくではないか。大阪・御堂筋でも「早朝や深夜に走ると信号に引っかからない」という話を聞いたことがある。なぜ止まらずに走れるのだろうか?

    ◇    ◆

 「交通状況によりますが、制限速度の50キロで走れば、うまくいけば1キロは止まらずに行けるはずです」。そう話すのは姫路署の交通規制担当、森本純一警部補。秘密は制御システムにあるという。

 この区間では、信号の色が一巡する時間を昼間は120~150秒に合わせ、50キロの速度にタイミングが調整された信号もある。「大手前」など大きな交差点は神戸の県警交通管制センターが制御し、混雑時は周辺の信号と共に青の時間を延ばしているという。

 全国でも活用される工夫だが、対向車線の影響がない一方通行では効果てきめんだ。「車線数が多いことも混雑解消につながっているのでは」と森本さんは分析する。

 姫路の国道2号が一方通行になった歴史は、約50年前にさかのぼる。当時は東西の大動脈で、1968年当時の市内の交通量は1日約5万台に上った。

 沿道で戦前から店を構える食堂「かどや」(姫路市車崎1)の店主有本勲さん(78)は「夜通しトラックが走り、振動で家が地震のように揺れていた」と振り返る。当時、姫路バイパスの建設も計画されていたが、完成まで時間がかかるため、70年2月に2号線を東行き、市道十二所前線を西行きの一方通行にした。

 姫路署員として切り替えに携わった姫路市の男性(76)は「交通事故対策でもあった」と明かす。「交通戦争」が社会問題となった70年当時、姫路署管内の交通事故による死者は2020年の10倍超の65人。対面交通を減らせば、右折車と直進車の事故を防げるという狙いもあった。「一方通行化は時代の流れだった。御堂筋や加古川市の国道2号も次々と切り替わった」

 75年には姫路バイパスが全線開通し、国道2号の通行量はさらに減少する。対面通行に戻す案も検討されたが、道幅を増やせない部分もあり、めどは立っていない。

    ◇    ◆

 市中心部の渋滞解消には別の課題もあった。JR山陽線をまたぐ南北道路の混雑緩和だ。

 姫路駅周辺が高架化される前、南北のメインルートだったのが、駅の東側に架かる陸橋「朝日橋」と、西側の「大将軍橋」。いずれも片側1車線しかない。「開かずの踏切」として知られた豆腐町踏切もあったが、いずれも常時パンク状態。国道2号の混雑にも悪影響を及ぼしていた。

 市姫路駅周辺整備課の石田亮(まこと)課長(54)は「渋滞が(駅の約1・2キロ南の)市役所近くまで延びていた。北側へ行くときは相当時間に余裕を持たせた」と話す。

 県と市は高架化に伴って二つの橋を撤去し、線路の下をくぐる2車線ずつの対面交通に切り替えた。南北を行き交う道も倍増させる計画で、2年後をめどに整備が完了する。

 半世紀前、国道2号の一方通行化から始まった駅周辺の渋滞対策は、大詰めを迎えている。(山本 晃)

【幻の「しんあさひばし」】JR線をまたいでいた陸橋「朝日橋」は、高架化完了後の2009年11月に閉鎖され、その後撤去された。橋の名は、ほぼ同じ場所で線路の下へ付け替わった道路が外堀川を渡る橋に引き継がれている。市は、新しくできる橋の欄干に取り付けるため「しんあさひばし」と書かれたプレートを用意していた。結局、名称は変わらなかったため、日の目を浴びることはなかったという。

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