長年連れ添ったパートナーとの死別に深い喪失感を抱き、その後の人生に影響が出る人は少なくない。三木市などで男女共同参画アドバイザーを務める中村和子さん(70)=加東市=も昨年12月、夫の昭吾さんを亡くした。でも中村さんは「夫の死は喪失ではなく、私との融合。今もずっと一緒にいるのよ」とにっこり。どういうことなのか、中村さんに尋ねた。(小西隆久)
中村さんは小学校教諭を22年間務めた後、県立嬉野台生涯教育センターや小野市で男女共同参画推進などに取り組んだ。「政治分野の男女共同参画」にも力を注ぎ、小野市や養父市などで多くの女性市議が誕生するきっかけをつくった。
昭吾さんと出会ったのは大学時代。一つ先輩の昭吾さんは「ものすごく頭の良い人」で、中村さんが卒業する年の2月、2人は結婚した。
大学での研究職にも関心があった昭吾さんだが「実家に戻ること」を選び、故郷の加東市で中学校教諭に。バスケットボール部の顧問を長年務め「生徒が大好きやったし、生徒にも好かれていた」と中村さん。
一方で、大阪府出身の中村さんは旧態依然とした男性上位の慣習や生活に、戸惑いと困惑の連続だった。結婚前に母に「どっぷり漬かるか、はねつけるか、どっちかやで」と言われた意味がすぐに分かった。
中村さんが「私、もういや。離婚する」と話しても昭吾さんはだんまり。「自分の田舎に連れて行った引け目があったんやと思う」。子どもができた後も、中村さんが仕事などで自由に外出することに口出しはしなかった。
昭吾さんの両親が鬼籍に入り、子どもが巣立つと2人暮らしに。虎党の中村さんに付き合って西宮市の阪神甲子園球場に足を運ぶうち、巨人ファンだった昭吾さんも阪神ファンにくら替えした。中村さんが仕事の愚痴をこぼしても、聞き役に徹してくれた。
退職後は教職に就かず、「恩返しやから」と民生児童委員や地元の農業委員を務めた。2023年に入院した際、中村さんについて「うちの妻はすごいことやってんねん」と看護師に自慢していたと後で聞いた。
24年に再び入院。医師から「もう治療手段はない」と告げられても昭吾さんは様子を変えることなく、12月18日に旅立った。
中村さんは今年5月、遺影を持って甲子園に行った。隣が空いたままの観戦に「もう来るのやめよかな」と思っていたら、横の席の男子高校生が遺影に「亡くなったんですか。でも2人でタイガースファン、いいですね」と笑いかけた。
「そうやん。今も一緒にいるやん」。心の中で何かがはがれ落ちた。
パートナーとの死別から前を向き、心豊かに暮らすには「生活、経済、社会で夫から自立していることが必要」と力を込める中村さん。でも「前を向けない、泣くことしかできない人を否定してほしくない。自立は決して誰かがコントロールすることではないのだから」。






















