アニメ「機動戦士ガンダム」のキャラクターデザイナー、アニメーションディレクターで、漫画家としても活躍する作家の回顧展「描(えが)く人、安彦良和」(神戸新聞社など主催)が、神戸市中央区の兵庫県立美術館で開かれている。作品中、比類なき美しい絵で描かれるのは、戦火に翻弄(ほんろう)される「小さき者」「弱き者」の姿だ。来館した安彦さんに自身の創作活動を振り返ってもらい、ガンダムのキャラクターが誕生した秘話を聞いた。(石崎勝伸)
■「つげ義春さんらの漫画がモテていて」
-自身の仕事を作品で振り返り、どう思ったか。
「いろいろやってきたんだなという気がする。非常に遠回りして今があるっていう感じなので、気が付いたら子どもの頃の夢をかなえていたんだな、非常に幸せな人生だったなと感じる」
-展示からは漫画好きの少年だったことが分かるが、1970年に学生運動で大学を除籍され、虫プロダクション(虫プロ、手塚治虫さんが創設したアニメ専門の制作会社)に入っている。それまでは漫画家やアニメーターになろうとは思っていなかったのか。
「自分の中から完全に消していた。才能がないということに気付いたし、だから無理だというのと、いつまでも夢を追っていてもしょうがないっていう気持ちだった。虫プロに入った時でも、描いていた夢のごく近くにいるんじゃないかという思いはなかった」
「僕らの時は大学生が漫画を読むというのが、社会現象として結構話題になった時期でもある。僕はあんまり漫画も読んでなくて、むしろみっともないなと思っていた口だった」
「ただその頃、割ととがった漫画とか、つげ義春さんら才気あふれる人の漫画がモテていて、こういう才能がないと駄目なんだと。プロになる人はやっぱり違うなあと思っていた」