神戸新聞社の「阪神・淡路大震災30年報道」が、2025年度の新聞協会賞に選ばれた。6434人が亡くなった震災の記憶と教訓を後世に伝える。およそ1年をかけ、多角的な視点で展開したキャンペーン報道が評価された。各シリーズや取り組みを改めて振り返る。
災害の記憶は発生から30年を境に、継承が難しくなっていく-。自らの経験も踏まえ、そう指摘する専門家がいた。一人ではなかった。本当だろうか。だとしたら、1995年に起きた阪神・淡路大震災の記憶継承は今がまさにその岐路にある。「30年限界説」を乗り越える。それが「30年報道」の出発点となった。
未曽有の大震災の前では先輩も後輩もなく、誰もが被災地取材の1年生記者だった神戸新聞も、すっかり世代は変わった。30年報道にあたった記者のほとんどは、震災後の入社だ。
過去の記事を読むことから始めた。編集局に保管される膨大な資料にも向き合った。疑問に感じたことはもう一度、取材するしかない。各シリーズのテーマはそうして決めていった。
「お話を聞かせていただけませんか」。若い記者の依頼に、多くの方があの日のこと、あれからの日々を語ってくれた。30年がたって初めて話せたという人もいる。つらい記憶であるはずなのに、それでも話してくださった。一方で、話せない、申し訳ない、という返事を丁寧に寄せてくれた人もあった。どちらにも感謝しかない。
目を赤くして、その日の取材内容を報告する記者。「30年前と変わってないやんか」と防災の不備に憤る記者。大切な人を亡くした悲しみと、過去の教訓を生かし切れていない悔しさ。30年報道は、1995年の被災地と2025年の今が地続きであることを再確認する作業でもあった。
神戸新聞の震災報道は、被災地を第三者の視点で見るというよりは、被災地の内側から私たちの声を内外に、そして未来に発信する主観報道であろうとしてきた。その思いは今回の各シリーズにもちりばめた。また新しい試みとして、次世代の子どもたちと震災の記憶を共有する学習用ウェブサイトを開設した。もちろん、足りないところ、反省点も多くあった。
30年限界説に対し「限界なんてない」という怒りや懐疑の声が聞こえてきた。「もっと伝えて」との励ましもいただいた。風化にあらがう被災地の思いは強くなったとも感じる。
限界説を越えられるかどうかは、これからが本当の正念場だろう。ただ私たちには30年にわたって読者とともに震災を見つめ、報じてきたという自負もある。まだきっと知らないこともある。地元紙として時の流れにさからい、踏ん張っていく。
◆授賞理由◆新たな「継承の力」示した
神戸新聞社は、阪神・淡路大震災から30年の節目に、記憶と教訓を継承し現代社会のリスクを問うキャンペーン報道を、2024年1月17日付朝刊から展開した。
被災者の経験と声をたどりながら、貧困や孤立、過疎化、高齢化、性差、トラウマといった課題に防災の観点から問題提起した。震災で女性死者が多かった原因に迫る連載では、社会的弱者がしわ寄せを受ける構造を明らかにした。家庭・学校向けに学習用ウェブサイトを新設するなど関連企画も充実させた。
災害の記憶継承をめぐる「30年限界説」に真正面から挑み、被災地の地元紙として新たな「継承の力」を示した企画報道として高く評価され、新聞協会賞に値する。
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<シリーズ>守れいのちを30th 現代社会新たな災害リスク
災害は誰にでも平等に襲ってくるが、被害は必ずしも平等でない。社会的に弱い立場にある人、脆(ぜい)弱(じゃく)なところほどダメージは大きい。このシリーズでは過去の教訓だけでなく、性差、孤立や貧困、過疎高齢化、トラウマ(心的外傷)など現代社会にひそむ新たな災害リスクに向き合った。
阪神・淡路大震災の女性の死者が男性より千人近くも多かったのは、なぜか。人口比や体力差の問題にされがちだったが、改めてデータと向き合い、遺族や専門家への取材を通じて見えてきたのは貧困や孤立の問題だった(「+967」)。災害時の性暴力も取り上げた(「なかったことにしたくない」)。
「プロローグ」は、耐震化や関連死といった阪神・淡路の教訓が今に生きているか、能登半島地震の被災地から問うた。「細る列島」では人口減と高齢化で弱る地域の防災力を、「5分後の世界」では地震科学の現在地を、「トラウマ社会」では心の問題をそれぞれテーマとした。
「災害の記憶」は、30年前の記憶を未来にどうつなぐか、記者たちが現場から考えた。
<シリーズ>1995.1.17⇒2025 今だからこそ語れる言葉
30年前に何があったのか。その後の歩みは、今にどうつながっているのか。シリーズ「1995.1.17→2025」では、傷痕が見えにくくなったまちで記憶をたどり、今だからこそ語れる言葉に耳を澄ませた。
震災で親を亡くした子どもたち、居場所を奪われた在日外国人…。全国から駆けつけたボランティアや災害情報を提供し続けた神戸海洋気象台(当時)、「がんばろうKOBE」を合言葉に被災地を勇気づけたプロ野球オリックスも取り上げた。
「最期と、これから」では、犠牲者の検視にあたった警察官らの姿を描いた。神戸・長田の遺体安置所。祖母に手を引かれてやってきた男の子は、警察官からもらったパンをちぎり、2人の弟の遺骨を納めた段ボール箱のそばに供えた。取材では大人になった少年にたどり着き、当時の警察官との対面も実現した。
<特集>1.17つなぐプロジェクト 学習サイト開設、「こども学校」企画
次の災害で命を守るためのヒントは、過去の災害にある。「30年限界説」を越えて、未来の命を守るために震災の記憶を次世代の子どもたちと共有したい。一つの取り組みとして「1.17つなぐプロジェクト」を始めた。
家庭や学校で震災を学べるように、2024年6月に新サイトを開設した。震災で肉親を亡くした人らが体験を伝える動画のほか、今は大人になった「あの日のこどもインタビュー」、当時の新聞、当時の映像、ラジオ音声などをコンテンツに盛り込んだ。震災で父親を亡くした女性の寄稿連載もある。
ライフラインの断絶、避難所の暮らし、つらかったこと、励みになったこと-など被災体験を広く募集し紹介するコーナー「わたしたちと震災(みんなの声)」もある。
語り部を講師に迎え、小学生たちが防災について学ぶ「こども震災学校」を記者が企画した。定期的に開いており、その模様や参加者の感想文をサイトで見ることができる。
<連載>震災30年語る 著名人のあの日インタビュー
阪神・淡路大震災を経験したり、被災地に関わったりした著名人に当時を語ってもらうインタビューシリーズ。
2024年4月の1回目は、落語家の笑福亭鶴瓶さん。地元の避難所を訪ねたときに被災者から「笑わせて」と頼まれ、笑いの力について考えたことなどを振り返った。
松尾諭さん、泉谷しげるさん、池上彰さん、五木ひろしさん、武田真一さん、小田和正さん、山田洋次さん、海野つなみさん、佐藤義則さん、安藤忠雄さん、鈴木亮平さん、原田マハさんが登場した。
<連載>震災ダイアリー 1年間を振り返る365枚
阪神・淡路大震災の発生した1995年1月17日から1年間の歩みを、1日1枚の写真連載で振り返った。
2024年1月17日の朝刊と電子版でスタート。初日は、火災によって一帯が焼けた神戸・長田の商店街の写真だった。
懸命の救出活動、学校で再会を喜び合う高校生、建設が進む仮設住宅、ボランティアに励む子どもたち、復旧する鉄道網など、写真はあの1年の被災地の表情を伝える。
切り抜き帳も発行し、読者とともに当時の記憶をたどった。
2024年1月に始まった写真連載「たどる 人、まち」は、震災後に入社したカメラマンが現在のまちを歩きながら、被災の記憶をたどるシリーズ。映像写真部が担当した。「阪神石屋川・御影を歩く」「武庫川を隔てて」「観光地に残る記憶」など全7シリーズ(44回)。
経済の視点から復興を読み解く連載「実相 被災地経済」は24年1月にスタート。経済部が担当した。「『靴のまち』は今」「岐路の三宮センター街」「財界人たちの復興」「港都のデザイン」など全7シリーズ(38回)を展開した。
神戸新聞社は15年1月、防災省の創設、防災の必修科目化など「6つの提言」を発表した。発表から10年がたった提言の現状と課題を、論説委員室が検証。新たな視点も含め、25年1月の社説で6回にわたって報告した。
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阪神・淡路大震災30年報道は報道部をはじめ、編集局各部、支社・総局がそれぞれ取り組みました。
シリーズ連載や「1.17つなぐプロジェクト」は、代表の中島摩子のほか、上田勇紀▽杉山雅崇▽名倉あかり▽岸本達也(デスク)▽紺野大樹(同)-の「30年」取材班が主に企画、担当しました。