大阪空襲で右脚に重傷を負った経験を紙芝居にして語り継いできた小林英子さん。「あの空襲で人生が変わった」と話す=西宮市内
大阪空襲で右脚に重傷を負った経験を紙芝居にして語り継いできた小林英子さん。「あの空襲で人生が変わった」と話す=西宮市内

 空襲で犠牲になった民間人を悼む「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」(姫路市)が建てられた背景には、空襲で傷を負い、家族を亡くしても補償を受けられなかった多くの民間人の存在がある。これまでに東京や大阪では、空襲被災者が国に賠償を求める集団訴訟が起こされたが、いずれも敗訴。今年7月、38年ぶりに空襲被害の救済を求める法案が野党議員によって参院に提出されたが、審議入りせず廃案となった。今も国による補償はなされていない。

■焼夷弾の破片が右脚直撃、終戦後は治療費なく通院できない時期も

 「前向きに生きてきたけど、やっぱり私の人生は12歳だったあの日のけがで決まってしまったわね」

 1945年6月の大阪空襲で右脚に重傷を負った小林英子さん(93)=西宮市=はそう話し、今も曲がらない膝をなでた。