尼崎市在住で琉球三線(さんしん)師範の仲村元一さん(79)は、太平洋戦争末期の沖縄戦で、住民が日本兵に虐殺された「渡野喜屋(とのきや)事件」に巻き込まれた。当時、生後3カ月で記憶はないが、母から何度も聞いた話を脳裏に刻み、関西各地で語り部を続ける。「母や多くの証言者が亡くなった。代わりに悲劇を伝えることが、九死に一生を得た私の役目」と誓う。沖縄県は23日、犠牲者を追悼する「慰霊の日」を迎えた。(津谷治英)
米軍が上陸する直前の1945年2月8日、那覇市で生まれた。空襲の中、母親の美代さんは生後間もない元一さんと3歳年上の姉を連れて、防空壕(ごう)代わりの墓で1週間を過ごした。
祖父の仁王(におう)さんは沖縄北部への避難を決意。親族9人で同15日ごろ出発した。砲爆撃を避けて昼は身を潜め、深夜に歩いた。