原爆症認定訴訟の原告男性。被爆した長崎市西山町の実家を地図で確認した=神戸市中央区
原爆症認定訴訟の原告男性。被爆した長崎市西山町の実家を地図で確認した=神戸市中央区

 80年前の長崎市。7歳で原子爆弾の閃光(せんこう)を浴びた少年は長年、めまいなどの体調不良に悩まされ続けた。国に「原爆症」の認定を求める訴訟で、今では広島、長崎を合わせ全国唯一の原告になった神戸市北区の男性(87)だ。過去の訴訟で国の敗訴が相次ぎ、認定基準は改められたのに、申請を却下された。原告男性の弁護団は「集団訴訟で積み上げた判決より、国ははるかに狭い基準で認定している」と指摘し、個別の被害に向き合うよう求める。(鈴木久仁子)

長崎・爆心地から2.5キロで被爆、体の異変次々と

 1945年8月9日の午前11時ごろだった。小学2年生だった男性は近所の女の子と自宅のそばでトンボ捕りをしていた。

 空襲警報が聞こえるたびに避難をしていたが、その日は鳴った記憶がない。

 ふいに敵機が上空に見えた。反射的に身をひるがえし、自宅に向かおうとした瞬間だった。「パッ、と稲妻みたいに光ってね。直後にバンッと押された」