ラグビーの神戸製鋼(現コベルコ神戸スティーラーズ)や日本代表で不動の司令塔として活躍した平尾誠二さんが亡くなって、20日で10年になる。高校、大学、社会人と全てのカテゴリーで日本一に輝き、引退後も日本ラグビー界をけん引した「ミスターラグビー」。その足跡をたどる評伝が講談社から出版された。執筆したラグビージャーナリストの村上晃一さん(61)=京都市=は「競技の枠を超えた、平尾さんの普遍的な魅力を今の人たちにも知ってもらいたい」と語る。(山本哲志)
病のため53歳で早世した平尾さん。だが、存在は関係者たちの心に深く刻み込まれている。同郷のラグビー選手として憧れ、専門誌「ラグビーマガジン」編集長時代から長年取材してきた村上さんもその一人だ。
今回の執筆にあたって41人を新たに取材した。「一人一人の思い出や感情が濃すぎて、責任の重さにキーボードの指が動かなくなった」時期もあったという。
評伝では、平尾さんがラグビーを始めた中学時代、テレビドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルにもなった京都・伏見工業高(当時)での日々がみずみずしく描写されている。重きを置いたのは華々しい場面よりも、海外の映像や雑誌を取り寄せていた研究熱心さ、雨を想定して水でボールをぬらしたパス練習など、志の高さや知性にあふれた少年の姿だ。
これまで語られてこなかった側面にも力を入れた。高校時代から約30年続いたファッションデザイナー松本瑠樹さんとの交流は、あまり知られていない。平尾さんは松本さんの葬儀で「私にとってあなたは真のクリエーターであり、ヒーロー」と弔辞を読んだほど、原宿カルチャーの礎を築いた松本さんの人生哲学に心酔していたという。平尾さんが松本さんの息子に「俺の考えの95%は、おまえのお父さんに教わったことや」と語りかけたエピソードがつづられる。
妻惠子さん、長女早紀さん、長男昂大さんが語る「夫」「父」としての平尾さんも印象深い。公園でいろんなスポーツを一緒にしてくれたこと、多忙な中でも家で過ごす時間が好きだったこと、病床での最期の会話…。村上さんは「今回の取材を通して、ほれ込んだ人や家族に注いだ深い愛情を知った」と話す。
平尾さんが亡くなって3年後の2019年、日本代表はワールドカップ(W杯)日本大会で初のベスト8入りを果たした。コベルコ神戸は没後10年の節目となる今年6月に日本一に返り咲いた。時代は移ろっても、ミスターラグビーの輝きは少しも色あせない。
「平尾さんがいなければ伏見工の全国優勝や同志社大の3連覇、神戸製鋼の7連覇もなかったと思うし、いたからこそ自由自在で魅力的なラグビーに人々が引き込まれた。日本ラグビー界に与えた影響はとてつもなく大きく、平尾さんのことをこれからも語り継いでいきたい」
四六判288ページ。2310円(税込み)。
【ひらお・せいじ】 1963年、京都市出身。ラグビー日本代表などで不動の司令塔として活躍した。京都・伏見工業高(現京都工学院高)で全国制覇し、同志社大で全国大学選手権3連覇。神戸製鋼では89年から日本選手権7連覇を達成した。日本代表ではワールドカップ(W杯)に87年から3大会連続で出場。97~2000年に日本代表監督。神戸製鋼では総監督やゼネラルマネジャー(GM)なども務めた。
























