Aさんの日常は、5年連れ添った夫を中心に回っていました。週末は二人で近所のカフェを巡り、何気ない会話を重ねる、そんな穏やかで幸せな時間が、永遠に続くと信じていたのです。そんなある日、夫は突然の事故でこの世を去ります。
Aさんは、悲しむ暇もなく葬儀や手続きに追われる日々を過ごします。夫の思い出が詰まった遺品をすこしずつ整理していた時、クローゼットの奥で夫が独身時代から使っていた古い書類ケースを見つけました。中には1通の封筒が入っており表面には、夫の少し癖のある字で「遺言書」と記されていました。
後日、弁護士によって確認された遺言書には、夫の自筆で「私の全財産は、両親である〇〇と△△に相続させる」と書かれていたのです。夫は、Aさんと結婚する数年前に遺言書を書いていたことが、遺言書の作成日から確認できました。
果たして結婚前に書かれた遺言書は、結婚後もそのまま効力を持ってしまうのでしょうか。北摂パートナーズ行政書士事務所の松尾武将さんに聞きました。
■遺言書は効力を失わない…
ー独身時代に作成された「全財産を両親へ」という内容の遺言書は、結婚後も有効ですか
ご主人が独身時代に作成された「全財産を両親へ」という内容の遺言書は、原則として法的に有効です。遺言書は、作成されたのが結婚前か後かに関わらず、法律で定められた形式を満たしていれば、その効力が失われることはありません。
結婚したという事実だけで、自動的に遺言書が無効になるわけではありません。ご主人が亡くなる前に、この遺言書を撤回したり、新しい遺言書を作成したりしていなければ、遺言書の内容が優先されることになります。
ーAさんは遺産を受け取れないのでしょうか
遺言書が有効だとしても、Aさんの権利が全くないわけではありません。法律は、残された配偶者に対して「遺留分」という最低限の遺産が留めおかれる権利を認めています。今回の場合、Aさんの遺留分は6分の2であり、金銭を遺留分侵害者に対して請求することができます。
ただし、遺留分は自動的にもらえるわけではありません。遺言によって遺留分が侵害されていることを知った時から1年以内に、遺産を受け取った義両親に対して「遺留分侵害額請求」という意思表示をする必要があります。なお、相続発生後10年で遺留分権は消滅します。
ー義両親との間で、遺産分割協議を行う余地はありますか?
判例では、遺言書が存在する場合でも、相続人全員(今回の場合はAさんとご主人のご両親)が合意すれば、遺言書の内容とは異なる形で遺産を分ける「遺産分割協議」で決することが可能とされています。
過去、遺言書で息子の妻に遺贈するとしていたが、その後息子と離婚したものの遺言書を書き替えていなかった場合や、遺言書で養子に相続させるとしていたが、その後養子と協議離縁したものの、遺言書を書き替えていなかった場合に遭遇した経験があります。いずれも法廷上の争いに発展しました。
遺言書は書き終わったらそれで終わりという訳ではなく、事情変更に伴い適切な時期に適切に書き替えることも必要です。
◆松尾武将(まつお・たけまさ)/行政書士
長崎県諫早市出身。大阪府茨木市にて開業。前職の信託銀行員時代に1,000件以上の遺言・相続手続きを担当し、3,000件以上の相談に携わる。2022年に北摂パートナーズ行政書士事務所を開所し、相続手続き、遺言支援、ペットの相続問題に携わるとともに、同じ道を目指す行政書士の指導にも尽力している。
(まいどなニュース特約・長澤 芳子)