日本テレビの番組「月曜から夜ふかし」で、「桐谷さん」の名で愛され、将棋棋士で投資家の桐谷広人さん(76)。11月に神戸市内であった講演会で、株主優待だけで生活するようになった経緯を語った。きっかけは、1990年初頭のバブル崩壊と、2008年のリーマンショック。「人生終わったと思ったんですね」
■初めて買った株がうなぎ上り
桐谷さんが株を始めたのは41年前。プロ棋士として証券マンの団体に将棋を教えに行く中で、将棋好きの営業所長と繋がりができたのが始まりだった。
「新しく赴任するから、僕にあいさつに来たいって言うんです。夜ふかしを見れば分かる通り、部屋がちらかっているから、来られたら困るんです」と桐谷さん。自身が証券会社に赴き、何度かお茶しに行く中で、「いつもタダで飲んでいたんじゃ悪いので、利益の出るものを買ってあげなきゃと思ったら、証券会社なので株を売るわけなんです」。情報誌をめくって目に付いたのが、株価250円の「西華産業」という会社だった。
1000株25万円を、手数料2500円で購入。バブルの時代で、株価は上がり、1カ月もしないうちに30万円に。営業所長が「儲かったので売りましょう」と言い、現金が戻って来たという。
桐谷さんが株で儲けた話は、ほかの証券マンが集まる将棋倶楽部で広まり、「うちでもやってくれ」と依頼されて数社で始めることに。株はうなぎ上りで、1億円ほど儲かった。
■「俺は株の天才だ…」
「本職よりいい」と思った桐谷さんは、持ち株を担保にお金を借り、より大きな利益を狙う「信用取引」にのめり込む。しかし1990年、バブル相場が崩壊した。「株価が下がると、借りていたお金を返さなきゃいけない…。現金がないから、お金を借りている訳で。自分の株を売って返金するようになったんです。例えば50万円で買った株が20万円になり、20万円で投げ売りして損失分を払うことになります」と説明する。5年で1億円を儲け、1カ月で1億円がなくなったという。
株のことで頭が痛くなり、将棋も振るわず給料は3割ダウンに。しばらく株はやらなかったが、2000年ごろ、インターネットで株が買えるようになり、手数料が安くなったことから本格的に株を再開した。
「非常に調子がよくてですね。週刊誌の取材を受けたら『資産3億、悠々自適の桐谷さん』という記事が載って。頭がおかしくなっちゃってね。やっぱり俺は株の天才だ…と。株5億円を担保にお金を借りて、投資したんですね。そしたら、リーマンショックが起たんです。2憶数千万円の損失を出して、死にそうになりましたね。棋士は引退しているので月給ゼロです。自宅の家賃13万円を払うお金はないし、ニューヨークが気になって夜も眠れないし、糖尿病も悪化して。人生終わったと思いました」
■暴落中に送られてきた優待品
そんな時に助けられたのが、株主優待制度だった。お米にレトルト食品、食事券、QUOカード、地方の名産品、調味料、お菓子…。株価は下がっていくものの、優待品は毎日のように届いていた。
「1年に1回か2回の優待があるんですけど、600回くらいあるんですね。家賃だけは払わなければならず、配当金でも払えなかった。だからQUOカードや食事券を金券ショップで売って。食事券は7割、QUOカードは9割で買い取ってくれるんです」。お金をかき集めて何とか家賃を払い、3年ほど経つと、徐々に株価が回復してきた。
「死なずに済んだんです。その体験から、株主優待のある株の分散投資が一番いいんだって気付いたんです」
(まいどなニュース・山脇 未菜美)
























