神戸国際大学で経済学を専攻する中国人女子学生(二八)は、三月半ば、神戸・元町の内外学生センター神戸学生相談所を訪れた。
中国から日本にきて五年。ずっと住み続ける神戸市中央区のアパートが半壊。避難所や保証人宅などを転々とし、帰ってきたところに立ち退きを求められた。1DKで家賃三万四千円。私費留学生に不可欠なアルバイト先に近く、便利だった。
地震で多くの安い物件は被害を受けた。木造は怖い。通学やアルバイトを思えば中央区に住みたい。マンションに移るには六万円は必要だろうか、友人のいる尼崎に移ろうかと考える。
「住むところが決まらず不安。しばらくはアルバイトもできないので、生活面の支援もほしい」と留学生は訴えた。
関西学院大学理学部の大学院生劉永亮(リョウ・ヨンリャン)さん(三〇)は、宝塚市の文化住宅が全壊、妻と避難所で一カ月半過ごした。二度申し込んだ仮設住宅は落選、定員割れの豊中市の公団住宅に申し込み、三月から移り住んだ。
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約十八万棟の建物を全半壊させた震災は、学生の下宿も奪った。
三月十日、大学や自治体などで構成する兵庫地域留学生交流推進会議の緊急運営委員会が神戸市で開かれている。席上、留学生の被災状況をまとめた資料が配られた。大学、短大など四十四校の留学生千八百九十四人のうち、四百九十六人が居住不可能という数字が示されていた。
震災後、各大学や機関は支援に乗り出している。
神戸国際交流協会は、神戸市西区の学園都市にある留学生会館の単身者用の部屋に二段ベッドを置いて二人部屋にし、入居者を募集した。内外学生センターも新聞折り込みで、部屋の提供を呼び掛け、ホームステイなど四百六十室を集めた。
だが、なかなか実を結ばない。応募は定数の半分以下だった交流協会は「違う国同士の相部屋は、文化や宗教などの問題もあり、現実的でなかった」と受け止め、学生センター所長の藤崎伊左恵さんは話す。
「部屋もなかなか近くにはない。大学に遠いことや文化の違いによるトラブルを予想して留学生はホームステイを敬遠しがちだ。友人宅や避難所で過ごす人もいて、留学生の下宿探しはこれからが大変だ」
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日本人学生ら全体の下宿探しについて、神戸大学厚生課長の田北恵治さんは「マスコミに『部屋がない』と何度も載ったため、在学生は自己防衛し一段落したのでは」と見ている。
同大学は、大学生協、民間仲介業者のほかOB二万人にも依頼、約四千室を集め、二月下旬からあっ旋をスタートさせたが、訪れる学生はまばら。全国大学生協連合会の建てる仮設寮への応募も低調だからだ。
そんな中、留学生は、自宅がなく、経済的援助に乏しいなど、防衛の手段も限られる。十日の兵庫地域留学生交流推進会議では、各学校から「安い住宅の提供を」「奨学金など経済的な支援が必要だ」など、行政への要望が相次いだ。
復興に向けた県の「ひょうごフェニックス計画案」討議資料には、留学生センターの建設などが挙がる。だが、新たな支援策は新年度予算には計上されていない。「一時帰国中の人もおり、新入生の数もまだはっきりしない。もう少し見極めないと動けない」と、県国際交流課は話した。
1995/3/28