「十二階建てが七階建てに縮小されるとか、元の住民が入れないとか、悲観的なうわさばかりが流れる」
約百人が避難する神戸市長田区の長田公民館。山端隆博さん(四六)はいらだった様子だった。震災で仕事を失った。住み慣れた市営住宅はエレベーターが壊れ、家財を出すこともできないまま、先月解体された。
再建される市住に元の住民らが再入居できるかどうか、まだ方針は出ていないからだ。
神戸市の市営住宅は震災で大きな被害を受けた。千三百八十二棟、四万七百八十三戸のうち、三十四棟、約二千五百戸が解体される。大規模修理を含めると、被害総額は千八百八十億円にものぼる。
倒壊した前任の多くは、二十年以上前に建てられた。その後の容積率や日影規制で、現在の高さを確保するのは難しい。一戸当たりの面積の狭さや、駐車場の少なさなど、単に元の住宅を再建すればよいというものでもない。「建て替え後の一棟あたりの戸数は、従来の五、六割に減ってしまう」と同市住宅部建設課は予想する。
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三年間で十二万五千戸を建設する兵庫県の住宅復興計画案。被災した住民の事情を考慮して、公的賃貸住宅の積極的建設を掲げた。持ち家四に対し、借家六とし、神戸市の計画案も同じ割合。従来に比べ、持ち家と借家の比率が逆転する。
神戸市の計画では三年間に建設する公営住宅は一万戸。震災前の建設ペースの五倍以上になる。「家を失った人は高齢者ら住宅弱者が多い。一万戸は公共で頑張るとの姿勢として掲げた」と市住宅局復興計画室。
公営住宅の建設戸数は減少を続けてきた。一九七〇年代を境に、国の住宅政策が「量から質へ」と変化したのに対応する形だった。神戸市のニュータウンや人工島での市営住宅の建設計画は少なく、西神住宅団地で二百十戸と全体の一%、六甲アイランドも三%しかない。
賃貸重視、公営住宅の大量供給は住宅政策の大転換ともいえるが、同復興計画室はこう話す。
「公営住宅建設費は国の補助があるが、ランニングコストは自治体の負担。修繕費などは家賃でまかないきれないので、将来的にも財政は厳しい」
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二月末に施行された被災市街地復興特別措置法は、収入など公営住宅の入居条件を事実上撤廃した。住宅に困っていれば、持ち家や民間の賃貸住宅を問わず、元入居者と一般の被災者との扱いを同列に並べた。
兵庫県と被災市町、住宅供給公社、住宅・都市整備公団などは、公的住宅の早期建設ため、「災害復興住宅供給協議会」(会長・今井和幸県副知事)を組織、効率的な建設方法、入居選定のルールづくりなどの検討を急いでいる。
全壊した公営住宅の入居者の取り扱いも検討中だが、同協議会管理部会の窓口の県住宅管理課は「入居者が優先的に入ることに一般の被災者の理解が得られるだろうか」とも話す。入居者はいずれ全員が再入居できるようにする考えだが、元の場所かは分からないという。
山端さんら市営住宅の元住民は四月一日、避難所近くの公園で、再入居を求める集会を開く。「地元を離れたくない。私たちが立ち上がらなければ」という思いからだ。
1995/3/30