(1) 西代(神戸市長田区、十一戸)
(2) 鷹取(同市須磨区、四十二戸)
いまだに七百六十人が暮らす長田区の駒ケ林中学校。寺本依子さん(五三)は申込用紙のリストを何度もながめて希望先を記入した。「これしかないわ。当たらないことは分かってるけど」
神戸市の仮設住宅の第二次募集は二月末から始まった。今回は、被災者が居住希望先を指定し、地域別に抽選する。募集リストには、計一万二千六百戸の所在地が並んでいた。
西神ニュータウン三千四百戸、六甲アイランド二千戸、ポートアイランド九百戸…。郊外と人工島が多く、被害の大きかった旧市街地は極端に少ない。今後、加古川や姫路、大阪など市外建設分の募集も始まる予定だ。
寺本さんは長田で生まれ育った。住んでいた市営住宅は全壊。しかし、近辺から離れる気持ちはない。駅も商店街も医院も「すべてが手の届く所にある」からだ。人情も豊かだ。大阪の会社に勤める夫の清さん(五八)は、通勤に時間がかかるため、ずっと会社に泊まり込んでいる。
「離れるぐらいなら、みんなでこのまま避難所暮らしを続けよか、と言っている」。そんな言葉に周囲の人たちがうなずいた。
◆
全半壊十七万千四百八十一棟
全半焼七千四百五十六棟(三月三日現在)
阪神大震災は、市民から家を奪った。兵庫県は一月末、聞き取り調査から、住む場所に困っているのは六万世帯余りと推定し、仮設住宅三万戸、公営・公団空き家など三万戸の計六万戸で対応すると打ち出した。その後、被災市町の仮設住宅要望は強く、一万戸を追加、計四万戸に修正した。
一九九一年の長崎・雲仙普賢岳噴火は約千五百戸、九三年の北海道・奥尻地震は約三百三十戸。四万戸はケタ違いの、例のない大量建設だが、それで足りるかどうかさえまだ分からない。
北海道から沖縄まで全国にまたがる公営・公団空き家の入居は、四日現在で約八千五百戸。遠隔地の希望は少なく、計画を大きく下回る一万戸以下にとどまる見通しだからだ。
「四万戸で足りなければ対応を考えるしかない。その見極めをするのは、水道やガスがかなり復旧する三月中旬ごろになるのではないか」と県住宅建設課。
だが、用地確保は難しく、四月末完成を目指す四万戸でも、うち三千戸は未発注。高齢者単身世帯の複数入居や、二階建て住宅建設の方針などからは、仮設の用地を最小限にとどめたい行政側の姿勢がうかがえる。
◆
平均二十六・四平万メートル、ふろとトイレ付きの2K。一戸当たり建設費約三百万円。
仮設住宅は決して広くはない。快適とはいえない。それでも畳がある。電気もガスもある。早く住みたい、近くに住みたいと、被災者は口をそろえる。壊れた家や、仕事、子どもの教育のことが気にかかる。重複があるにしろ、二月末まで約九万七千件に上った申し込みは、思いの強さを物語っている。
一面に布団が敷き詰められた駒ケ林中学校の格技室。雑然とした一角に、ペットボトルに花が生けられ、春の訪れを告げていた。避難所生活は間もなく二カ月になる。
◆
がれきの中から、復興への歩みが始まろうとしている。私たちの家は、職は、そして街はどうなっていくのか。安心して暮らせる日が一日も早く訪れることを願い、ともに考えたい。「復興へ」のシリーズ第一部は住宅の問題を取り上げる。
1995/3/7