芦屋市南部の埋め立て地・芦屋浜ニュータウンにある潮見中学校。約一万三千平方メートルの運動場で、仮設住宅の建設が進む。骨組みがほぼ終わった約二百戸の住宅が全面を埋め尽くしている。
同中学の敷地は市内で最も広い。その全景の航空写真が飾られた校長室。「涙の出る思いだった」と、山本和宏校長(53)は、杭(くい)打ちが始まった時をふり返った。
学校への建設を知ったのは二月五日夜。市教委からの電話だった。
「すでに大きな公園は使い果たした。どうしても土地が足りない。誠にやむをえないものとして、学校の提供をお願いしたい」
当時、余震を恐れ避難している地域住民の世話に明け暮れていた。せいぜい校庭の半分ぐらいだろうと思っていた。全面と知ったのは、その後のことだ。
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同市では、市全体の四六%の七千棟が全半壊した。ピーク時には、市民の四人に一人が避難生活を送った。一刻も早く仮設住宅をと望む声は強かった。
だが、山と海に囲まれた十七平方キロメートルの「国際文化住宅都市」は、家が張り付き、空き地はほとんどない。当初、市が考えていた南芦屋浜の埋め立て地は、地震で護岸が崩れていることが判明した。
公園やスポーツセンター建設用地はもちろん、わずかなスペースにも計画し、たった三戸のところさえある。が、それでも足りない。「用地を出さなければ芦屋には建てない」。建設を急ぐ兵庫県からは矢のような催促があった。「だれも学校には建てたくない。ぎりぎりの選択だった」と、芦屋市の後藤太郎助役(62)。市は急きょ、市立小、中、高六校に四百四十三戸の建設を決め、さらに県立高校一校に三十九戸を依頼した。
県が計画する四万戸のうち、学校への建設は芦屋市と西宮市だけ。淡路・北淡町は、検討段階で子供への影響が大きいと断念、神戸市も仮設校舎を建てるため、その気はない。
西宮では七つの小中高に計三百二十九戸が建つ。その一つ西宮西高は定時制。仕事から帰った被災者が仮設住宅でくつろぐころ、授業が始まる。半分残った運動場での体育の授業は、ライトを照らさなければできない。大仁(だいに)洋校長(53)は「そんな定時制の事情をよく考えてほしい」と話す。
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芦屋市の教職員組合は、全面使用の撤回を求めた文書を市教委に提出した。しかし、状況を考えれば、使用そのものには反対はできない。PTA協議会も、じくじたる思いを抱きながらも「やむをえない」との結論を出した。
潮見中は今、体育の授業とクラブ活動の場の確保のため、中庭のテニスコートをつぶし、近くの小学校に借用を申し入れている。
運動場すべてが仮設住宅に充てられるのは全国初のケース。県教委は、「正常な教育活動が行えるように」と、最低半分のスペース確保を求めた通達を各教育委員会に流したが、現実は先行している。
入居期限は一年。果たしてそれだけの期間で住宅事情が好転するのか。実際に被災者が住み始めた時、どんな問題が持ち上がるのか。まだ予測はつかない。入居は、新しい学年がスタートする四月上旬に始まる。
1995/3/9