連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

(20)長屋に住みたい 高齢者が帰れる下町を
  • 印刷

 神戸市長田区三番町の神戸医療生協「番町診療所」は下町の真ん中にある。「在宅患者の動向3月7日」と打たれたリストを婦長の久保イネさん(五三)は持っている。

 同診療所は、寝たきりや痴ほう症、独り暮らしなどの訪問看護を続け、体の調子を見たり、リハビリ、介護などの指導をしてきた。その高齢者ら五十三人の名前、年齢、住居の状況、けがの有無、避難先を記したものだ。亡くなった人が九人いる。

 避難先を追っていくと、「入院」「ホーム」「避難所」「施設」「親戚宅(しんせきたく)」などが並ぶ。周辺の長屋や、木造アパート、市営住宅を直撃した震災が、地域をちりぢりにしてしまった軌跡がそこにある。

 西区の特別養護老人ホームに入った男性(六八)も、看護を受けていた一人だ。

 失語症で寝たきり。妻(六七)と、戦前からの五軒長屋に住んでいた。訪問看護のほか、近くの老人ホームでデイケアなどを受け、近所の人もよく訪ねてきた。元気だったころは人気者だったからだ。

 倒壊した長屋から、近所の人たちに助け出された男性は、病院を経て老人ホームに入った。兵庫区の娘家族と同居を始めた妻は、自分に言い聞かせるように話した。「ホームを訪ねると、私の手を握って離さない。でも、夫と娘家族の同居は難しい。夫もホームの方が幸せや」

 全盲の独り暮らしの女性(八四)は、長屋に住み、食事の差し入れなど近所に支えられていた。病気の際に近所から診療所に連絡が入ったこともある。長屋は全壊、この女性もホームに入った。

 久保さんは「あまりにも被害は大きく、近隣のネットワークもなくなった。高齢者や病気の人たち、みんなが支え合って地域で暮らしていたのに」と話す。

    ◆

 神戸の既成市街地の古い木造家屋の多くは倒壊し、下町から高齢者が姿を消した。特に在宅福祉の対象だった高齢者は、親戚宅や病院、福祉施設などに移った。

 市の外郭団体「こうべ市民福祉振興協会」のホームヘルパー派遣世帯は大半が高齢者で、震災を挟んで約二千二百世帯から半減している。

 今も派遣するのは主に自宅にいる人たちだ。親戚・知人宅への避難と入院・施設入所で約千世帯に上るが、こういった人たちは、施設がケアしたり、家族、親戚らが面倒を見ていると同協会は考えている。

    ◆

 「高齢者の多くは、住み慣れた町に帰りたいと強く思っている」と、福祉関係者は口をそろえる。

 神戸市高齢福祉部の酒井昭夫部長は「市街地で、特別養護老人ホームやケアハウスなどを積極的に整備し、対象の高齢者が以前のように住み続けられる町にしたい」とし、同市住宅局復興計画室も「下町など地域のよさを生かした環境整備の方法を検討していきたい」と話す。

 長年培った下町のよさ、人々のつながりを復興した街にどう再現するか。施設だけではなく、コミュニティーづくりの施策が欠かせない。

 番町診療所のベランダから、路地を埋める倒壊家屋が見える。「あそこの路地も、そこの路地もなくなった。去った人たちが本当に帰ってこられる町をつくってほしい。それまで待つつもりです」。久保さんの口調はきっぱりしていた。

1995/3/29
 

天気(9月7日)

  • 33℃
  • ---℃
  • 20%

  • 37℃
  • ---℃
  • 40%

  • 35℃
  • ---℃
  • 20%

  • 35℃
  • ---℃
  • 30%

お知らせ