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(8)情報を伝える(上) 機能マヒし自治体後手
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 「三人埋まっとる。助けに来てくれ」
 「親類宅に電話がつながらない。避難しているか、調べてくれ」

 震災で死者千三百三十八人、家屋の全半壊約五万世帯と、最大の被害を記録した神戸市東灘区。発生直後から数日間、区役所にはすさまじい勢いで電話が殺到した。

 震災当日、職員約二百人のうち出勤したのは約五十人。区役所の電話は三日間、発信できず、本庁との行政無線だけが生きていた。遺体搬送、避難所、避難者数の把握に追われ、情報を伝えることはとてもできなかった。

 「生きるか死ぬかが先だった。どうしようもなかった」

 職員の一人は述懐する。防災計画は、基本的に風水害を想定していた。台風の場合、進路を見極めながら住民に情報を提供、避難誘導もできた。だが突発的な地震では、マニュアルは役立たなかった。

 情報を求め、現場で、避難所で住民が職員に詰め寄る。区災害対策本部は、食糧配給へ向かう職員に手書きのメモを持たせ、対応した。

 同区の避難者は翌十八日、百二十カ所に六万人、という数字が残っている。だが、これも推定でしかない。住民は、自主的に学校など公共施設に避難、二百カ所はあったともいう。

    ◆

 兵庫県芦屋市でも広報課職員六人のうち出勤は三人。永田宗嗣課長以外は遺体搬送に回った。「とにかく人手が足りなかった。情報も集まらなかった」と永田課長。

 防災計画で定めた役割分担はまったく機能しなかった。三日後、全員が出勤できた後も物資供給、遺体搬送へと配置され、本格的な広報活動は他市からの応援に頼った。

 兵庫県西宮市の広報車は遺体搬送に使われた。「すべての公共施設は避難所に開放します」。同市が当日、市民に届けることができた情報は消防広報車で回ったこれがすべてだった。

 兵庫県伊丹市は広報車が巡回したが、大阪空港周辺の民家は、航空機騒音の対策として二重窓にするなど防音工事が行われている。「マイクが聞き取れない」との苦情が市役所に殺到した。

    ◆

 「想定を超えた規模の被害だった」と、各自治体が口をそろえる大震災。

 震災の情報に関する調査を、各メディアや自治体が調査している。

 新聞協会研究所の調査では、最初に接触したメディアは、ラジオ六八%、テレビ一九%、新聞一二%の順。各種の調査では、時の経過とともに新聞、テレビのウエートが増していく。

 「直後の不安な時期に、自治体情報が何もなく、テレビと口コミが頼りだった。緊急時には、一定時間、国、自治体が広報することも考えられないか」(西宮市の男性)

 「非常に情報が不足し、いらいらした。結局、周りの人たちが助け合う以外になかった」(宝塚市の女性)

 兵庫県長寿社会研究機構の調査に、こんな声が寄せられ、同機構は「身近な情報は口コミ、ライフライン、交通関係などはマスメディア。行政の情報利用は低かった」と総括する。

 被災自治体では唯一、兵庫県尼崎市が、市民向けも含めた防災行政無線システムを整備していた。だが、システムが運用されたのは一部だけ。市民向けは「かえって混乱を招くかもしれない」という理由で使われなかった。

1995/5/23

 

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