車が頻繁に通る道路を一筋それると、タイムスリップした気分になる。兵庫県尼崎市北部の武庫之荘七丁目。落ち着いたたたずまいの旧家と田園風景が広がり、工業都市・尼崎とは異なった顔を見せる。
一角にある佐伯治郎兵衛邸は、市条例で都市美形成建築物に指定する豪壮な農家だ。
広さ三百坪。長屋門を構え、長さ二十五メートルに及ぶ板塀が続く。入り母屋造りの母屋。漆喰(しっくい)塗りの白い蔵。「古文書では二百五十年ぐらい前とあります」と、当主の佐伯利久さん(67)は話す。
震災で母屋と納屋のつなぎ目が壊れ、母屋の柱が傾いた。利久さんは大工に相談した。が、結局修理を断念する。分家の佐伯栄治邸も条例に指定された豪邸だったが、すでに取り壊された。
「長屋門だけでも保存を」と、調査に訪れた尼崎市の高橋修美・都市美担当課長は持ち掛けた。「残したいが、個人の力では無理。行政は助けてくれるのか」。そんな利久さんの問いに、答えはなかった。
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尼崎市は、農家など指定文化財以外の歴史的建物を守ろうと、一九八八年、都市美形成条例を制定。年間四、五軒のペースで指定してきた。
現在は二十八軒。一軒を除いて被災し、十軒が取り壊しを決めた。残る十七軒は保存の意向だが、費用や職人不足の問題から先行きはまだはっきりしない。
修理・改築の際、三百万円を上限に助成は出る。だが、実際の修復には数千万円単位の費用がかかる。
「助成増額を要望しているが、市の財政事情が厳しく、自力で復旧していただくしかない。お手上げの状態です」と高橋課長。今後の新たな指定は困難ともいう。
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神戸大学工学部の足立裕司助教授(建築史)は、震災直後から未指定文化財の歴史的建物の被災調査に駆け回った。
第一勧業銀行神戸支店(大正五年)▽日産ビル(同七年)▽神戸栄光教会(同十二年)▽下山手教会(明治四十三年)など、神戸市内で、日本を代表する建築物が消えた。
「指定外の建物は、修復が可能かどうか、その検討も十分されなかったようだ」と足立助教授は嘆く。
指定文化財と未指定では、震災後の対応にも差があった。国指定重要文化財の旧居留地の十五番館は崩壊したものの、修復可能と判定された。国の重要伝統的建造物保存地区に指定された北野・異人館地区は行政の保護がある。
例えば修理費は、国指定の場合、国が七〇・八五%を持ち、残りが県、市、所有者の負担。さらに県は震災復興基金から指定建築物の所有者負担のうち五%を補助する方針を打ち出した。
足立助教授は「解体・撤去には補助が出て、未指定でも残す意思のある建物になぜ出せないのか。保護には、市民文化財の視点が必要だ」と指摘し、文化庁が検討している文化財登録制度を、自治体レベルでも考えてみてはどうか、と提案する。
歴史的建築物を幅広く保護する制度で、限られた予算では個々の補助率は下がるが、従来は困難なケースも救われる。
震災後、神戸市は文化財条例策定の検討に入った。だが、復旧に手を取られ、被災状況の調査すら手つかずの自治体も多い。
1995/6/2