片渕須直さん〓KUROBURUE
片渕須直さん〓KUROBURUE

 記憶力の良い人だといわれることが多い。

 幼い頃、「鉄腕アトム」のB5判のコミックスを何冊か買ってもらっていた。あの頃はずいぶん「鉄腕アトム」に影響されていた。そう思い込んでいたのだが、大人になって全集になっているものを読んでもあまりピンとくる感じがしない。幼児期に読まなかったエピソードは全くの赤の他人のような顔をしているだけだった。

 何冊かしか持っていなかったコミックスに載っていた7篇(へん)だけが、記憶どおりだった。どんな台詞(せりふ)だったか、どんな絵がどんなふうに連なっていたか、残らず幼なじみの親しさで出迎えてくれるのだった。

 今の私はアニメーションでものづくりする世界の中で生きている。このアニメーションというものを初めて自分の生きる道として意識したときにも同じような気持ちを味わった。

 高校3年生の4月、その頃に唯一名前を知っていたアニメーターである大塚康生さんが携わる新番組が始まることを知って、その第1話を観(み)終わったときだった。まだアニメーションのことなど何も知らなかった私だったが、大塚さんの名前は、テレビの画面で見た卓抜な動きで覚えていた。観終わって膝を抱えて考え込んだ。今観たものは他人ではなかった。見知った顔をしていた。

 そのとき思い出していたのは、私が2歳11カ月で観た「わんぱく王子の大蛇退治」というアニメーション映画のことだった。そんな年齢の記憶なのに、確かに残っている。映画の途中で劇場内に連れて行かれ、かなりクライマックスの場面から見始めた。この場面の作画が大塚康生さんによるものだったことは、のちに知った。

【かたぶち・すなお】1960年大阪府生まれ。アニメーション映画監督。「この世界の片隅に」で多くの映画賞を受賞。新作「つるばみ色のなぎ子たち」を制作中。写真は(c)KUROBURUE