日々小論

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 立花隆さんの名前が知れ渡ったのは、元首相の金脈を追う「田中角栄研究」だった。載ったのは月刊「文藝春秋」の1974年11月号である。

 同じ号に、元首相に迫るもう一つのリポートが載っていた。児玉隆也さんの書いた「淋(さび)しき越山会(えつざんかい)の女王」である。「女王」とは、元首相の事務所を仕切った女性のことだ。

 世間の目は立花さんの作業に集まった。しかし児玉さんの筆も、元首相とその周辺をかなり揺さぶっていた。後の文藝春秋で、元政治記者がこんな趣旨のことを書いている。

 -11月号の出た直後、角さんは会うなり「おい、まいった。あれだ、文春だ」と言った。聞けば、児玉リポートの方がこたえているようだった、と。

 残念ながら児玉さんは翌年、38歳で病没した。戦時下の庶民を描いた「一銭五厘たちの横丁」、自身の病と向き合った「ガン病棟の九十九日」…と印象深い作品を残して。

 思うに、立花さんは「知」のレンズを通し、児玉さんは「情」のレンズを低く構え、社会を見つめた。体調が万全なら、すばらしいノンフィクションをもっと書いただろう。

 兵庫の人である。県立芦屋高から早稲田大へ進んだ。幼いころに父が亡くなり、母が苦労して育ててくれたという。大学も働きながら夜間に通った。

 かなり前、その芦屋高を取材で訪ねたとき、校長室で児玉さんの色紙を見かけた。「こちらの卒業生でしたね」と話が弾んだ記憶がある。

 多くの人を魅了した児玉さんの仕事を振り返る。再評価する。立花さんの訃報がそのきっかけにならないか。

 刺激された一人として、ひそかに期待する。

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