日々小論

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 「厳正なる抽選を行いました結果、チケットが『当選』しました」。2019年12月、東京五輪の大会組織委員会から届いたメールを今も残している。

 招致過程に違和感を抱きつつも、20年夏の五輪観戦チケットを申し込んだ。生きているうちにまた自国で開催することはないだろうし、小学生と保育園児の娘2人の記憶に少しでも残れば、との思いだった。「当たるわけがない」と応募したが、望外に2種目で当選した。

 程なく2泊3日の観戦計画を立てた。宿探しには苦労した。会場近くはどこも満杯。あるホテルでは「五輪関係者を優先しておりまして…」と恐縮された。夜の観戦だったが、確保できたのは会場から1時間、家族4人にツイン1部屋だった。

 しかし延期が決まり、チケットを払い戻した。1年先でも感染拡大の懸念が拭えないこと、そして「以前と同じ気持ちでは楽しめない」と感じたからだ。キャンセル料100%の契約だったホテルは「延期が理由なら」と返金に応じてくれた。

 結局五輪は、大半の会場を無観客にすることに決まった。欧州や南米の国際大会でも選手や観客らのクラスター(感染者集団)が発生しており、無観客は妥当だろう。一方で、散々じらされた上に、保有し続けた観戦の権利を寸前で奪われた心中はいかばかりかと想像する。

 切り札と見込んだワクチン接種は供給が追いつかない。開催ありき、観客ありきで進み、現実的な判断を先送りしてきた因果と感じざるを得ない。

 熱狂の瞬間を現地で見届けたい、と願う気持ちに非はない。「完全な形で…」「安心・安全の…」。その言葉を信じた人々を、いまだに翻弄(ほんろう)し続ける政治の身勝手さを思う。

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