金(キム)教一(キョウイリ)さんは1939(昭和14)年に明石で生まれた。終戦直前の6歳のとき、京都府宇治市のウトロ地区に移住したという。当時そこでは飛行場建設が行われ、多くの朝鮮人労働者が過酷な作業に従事していた。
幼少期に父が他界。苦労するオモニ(母)のために必死で働き、こう言った。「いつかは日本人のように瓦屋根の家に住ませてあげる」。約束は果たせなかったが、朝鮮人労働者の子孫が暮らす同地区で町内会長を務め、2016年に亡くなるまで住民たちの人望を集めた。
昨年の4月に開館したウトロ平和祈念館(宇治市伊勢田町)で、こうしたライフヒストリーを集めた企画展「ウトロに生きた人々」を見た。厳しい顔、談笑する顔…。並んでいる多くの写真の中で、住民らが見せる豊かな表情が印象的だった。
劣悪な住環境を振り返った証言も展示されていた。同館敷地内には、かつて労働者が住んだ「飯場」が移設され、中に入ることができる。廃材やトタンで組み立てられた小屋だ。
「寒くて寒くて、もう板の間から雪が吹いて入るんです。…あれは家じゃない。人間として扱ってもらえない状態です」
同地区では1989年に地権者が立ち退きを求めて提訴し、2000年に住民側の敗訴が確定。だがその後、市民からの募金や韓国政府の支援で土地の一部を買い取る合意に至った。常設展では、苦難の歴史が分かりやすく説明されている。
展示の最後に「生きること、つながること、差別しないこと、仲良くすること、あきらめないことの大切さ」を感じてほしいとあった。想定していた来館者は年2千人だったのに、先月早くも1万人を超えた。住民の思いは確実に伝わりつつある。
