1954(昭和29)年、石井順子は兵庫県立夢野台高校に入学する。県立第二神戸高等女学校を前身とする伝統校である。1学年上に西條遊児がいた。後に歌手になる神戸(かんべ)一郎とも顔見知りになった。歌が得意な者同士で「のど自慢」に行ったりした。歌うのは楽しかったが、戦時中の名残か、英語で歌うだけで同級生から「不良」「非国民」と非難されることもあった。
大阪・梅田の北野劇場に出る機会があった。順子は雪村いづみの歌を歌う。美空ひばり、江利チエミの役をする出演者もいた。そのとき、初めてフルバンドで歌った。衣装はドレスと赤いハイヒール。会場はブルーの照明に照らされている。伴奏がふわっと鳴ると、雲の上にいるよう。心地よい音に包まれながら声を響かせた。