「これから、どうなるんやろうなあ」。1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起きた夜。阪急西宮スタジアム(西宮市)の駐車場に止めてあった遺体搬送用のレンタカーで、伝令役の部下につぶやいた。
当時30歳の警部補で、西宮署直轄警ら隊の小隊長。全国の警察から派遣されてくる支援部隊を、スタジアムで出迎える役割を任されていた。
夜が更ける。火急の事態に、寝床などない。目に入ったのがレンタカーだった。部下とともに体を投げ出し、脱いだ編み上げ靴を枕にして体を休めた。
ほんの十数時間前からの出来事全てが、信じられなかった。揺れを感じたのは、名谷(神戸市須磨区)の待機宿舎。車で出勤する途中、市街地の住宅が燃え、道路が波打っていた。署にたどり着くと、どろだらけの署員と避難者であふれていた。
























