「がんばろうKOBE」のワッペンをユニホームの右袖に着けてプレーするオリックスのイチロー=1995年、神戸市須磨区のグリーンスタジアム神戸
「がんばろうKOBE」のワッペンをユニホームの右袖に着けてプレーするオリックスのイチロー=1995年、神戸市須磨区のグリーンスタジアム神戸

野球で元気づけるしか

 編集局の本棚を片付けていると、プロ野球オリックスの広報文をとじたファイルが出てきた。報道各社に送られたもので、かなり古そうだ。黄ばんだ紙をパラパラとめくる。あるページで手が止まった。

 〈この度の“平成7年兵庫県南部地震”により’95年球団行事・春季キャンプの予定を下記の通り変更させて頂きます〉

 日付は阪神・淡路大震災3日後の1995年1月20日。ワープロ打ちの文章が並ぶ中、これ1枚だけが手書きだ。

 この年、オリックスはパ・リーグを制し、翌年には日本一に。傷ついた神戸の街を元気づけた。快進撃は被災地でのスポーツの力を示す出来事として広く知られるが、私たちは球団を取り巻く当時の状況をきちんと記録に残せていただろうか。ファイルを手がかりに、当時の広報部員を訪ねるところから取材を始めた。