1945(昭和20)年の沖縄戦終結から79年となったきのう、沖縄県は「慰霊の日」を迎えた。激戦地として知られる糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では、沖縄全戦没者追悼式が開かれた。新型コロナウイルスの影響による人数制限がなくなり、昨年に続いて一般参列が可能となった。県内外から多くの人が集まり、平和への祈りをささげた。命を尊ぶ「沖縄の心」に共感を寄せたい。

 沖縄戦では日米で20万人以上が死亡した。そのうち約9万4千人を住民が占め、軍人らを合わせると県民の4人に1人が犠牲になったとみられる。神戸出身の島田叡(あきら)知事も行方不明となった。軍を率いた牛島満司令官らが自決し、組織的な戦闘が終わったのが6月23日とされる。

 戦火で家族や住まいを失い、収容所に集められた住民は戦闘終結後も厳しい生活を強いられた。米軍に土地を強制接収され、多くの基地が造られた。苦難の歴史は本土に住む私たちこそ知っておく必要がある。

 だが今も基地の整理・縮小は進んでいない。むしろ近年は台湾情勢などを背景に、自衛隊が九州・沖縄の防衛力を強化する「南西シフト」を推進し、米軍とも連携する。陸自は与那国島や宮古島、石垣島などに駐屯地を設け、那覇を拠点とする第15旅団の師団格上げも検討する。

 南西シフトに伴い、うるま市のゴルフ場跡地に計画された陸自の訓練場新設は、4月に計画断念に追い込まれた。住民や玉城デニー知事が反対、県議会も白紙撤回を求める意見書を全会一致で可決したためだ。

 地元が懸念するのは、防衛力増強で「攻撃対象になる」「再び戦場になる」危険性が高まることである。悲惨な地上戦が語り継がれる沖縄で不安が広がるのは理解できる。

 そうした中、エマニュエル駐日米大使が5月に与那国島と石垣島を海兵隊の輸送機で訪れた。米軍と自衛隊の連携を誇示し、中国をけん制する狙いだが、玉城知事は「緊張感をもたらす」とし、県が自粛を求めた米軍機の民間空港使用を強行した点に遺憾の意を表した。民意を無視した訪問と言わざるを得ない。

 第15旅団のホームページに牛島司令官の辞世の句が掲載された問題も戦争美化ではないかと地元の反発を招いた。牛島司令官は島田知事の反対を拒み、本島南部撤退を決めた。多くの住民を巻き添えにしただけに、有識者らが句の削除を申し入れた。陸自は真摯(しんし)に受け止めるべきだ。

 武力では平和を守れないと、沖縄の人々は身をもって体験している。万一、攻撃が始まれば住民が避難するのは容易ではない。南西シフトを進める前に、紛争を起こさない外交の積み重ねが何よりも重要だ。