旧優生保護法(1948~96年)下で不妊手術を強いたのは憲法違反だとして、障害のある人らが国に損害賠償を求めた5訴訟の判決で、最高裁大法廷は旧法を違憲とし、国の賠償責任を認める初の統一判断を示した。「違法な立法行為の下、重大な犠牲を求めてきた」と非難し、国の政策を根本から否定した。

 「不良な子孫の出生を防止する」との目的で旧法が制定されて76年、差別的な条文を削除し母体保護法に改正後28年を経て、ようやく優生保護施策は誤りと認められた。「戦後最大」とされる人権侵害の認定にこれほどの時間がかかった経緯を改めて検証する必要がある。

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 一連の訴訟は2018年以降、被害者ら39人が全国12地裁・支部に提起した。最高裁が判断を示したのは神戸、札幌、仙台、東京、大阪の各地裁の5訴訟で、原告は1950~70年代に不妊手術を強いられた。

 これまでの判決で判断が分かれ、最大の争点となったのは、不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」が適用されるか否かだった。各訴訟の原告はいずれも手術から20年以上が経過し、国は賠償責任を否定してきた。

重すぎる政治の責任

 最高裁の判決は「著しく正義・公平の理念に反する」として除斥期間の適用を否定した。手術された本人に1100万~1650万円、配偶者に220万円の支払いを命じる判決を4訴訟で確定させ、一、二審で原告が敗訴した仙台訴訟については審理を仙台高裁に差し戻した。

 他の訴訟の確定を待たず、国は全ての被害者や遺族に心から謝罪し、最高裁の判断に基づき早急に賠償の手続きを進めなければならない。

 最高裁が20年の「時の壁」を越えて国の賠償責任を認めたのは、各地で優生保護施策が推し進められた経緯を鑑みれば当然である。

 旧優生保護法は食料難を受けた人口抑制策の一環で国会議員が提案し、衆参両院の全会一致で成立した。国も積極的に施策を進め、手術件数が減ると自治体に実施を促した。

 国の動向を踏まえ、兵庫県は66年度以降に「不幸な子どもの生まれない県民運動」を推し進めた。当時の神戸新聞も運動に賛同する社説を掲載したことを省みる必要がある。

 80年代には旧厚生省内で手術廃止に向けた動きもあったが、議員立法だったこともあり先送りされた。

 このような状況下で、被害者が声を上げるのは極めて困難だ。除斥期間が過ぎた責任を負わせるのはあまりに理不尽である。だが、国は「当時は合法だった」としてかたくなに責任を認めようとしなかった。

 被害者への一時金支給法が議員立法で成立した2019年、当時の安倍晋三首相は反省とおわびを盛り込んだ談話を発表したが、公式には謝罪しなかった。支給額は一律320万円で、24年5月時点で約1100人の支給認定にとどまり、不十分であることは明らかだ。にもかかわらず、岸田文雄首相は最高裁の判断を待つ姿勢に終始してきた。

 旧法下の不妊手術は約2万5千人に上り、約1万6500人が強制とされる。一連の訴訟の原告39人には死亡する人が相次ぎ、神戸訴訟の原告も2人が亡くなった。「死を待っているのか」との訴えは切実だ。

 首相は判決を受け、「被害者に反省とおわびの言葉を直接伝えたい」と述べたが、なぜもっと早く解決へ動こうとしなかったのか。遅きに失したと言うしかない。

今も続く差別の底流

 旧優生保護法の差別的な思想は、今も社会の底流に残っている。16年に相模原市の知的障害者施設で入所者19人を殺害したなどとして、死刑判決が確定した男も、事件前に「障害者は不幸を生む」などと繰り返していたという。違憲状態を放置してきた国の責任はあまりに重い。

 国は過ちを率直に認め、被害者の尊厳回復に努めてもらいたい。障害を個性と捉え、認め合う社会をつくるには、最大の当事者である国や国会がその姿勢を示すことが肝要だ。

 神戸訴訟の原告の鈴木由美さんは「苦しんでいる人がまだ多くいる。この判決を第一歩に、障害があっても当たり前に暮らせる社会になってほしい」と語った。理不尽な差別を二度と繰り返さないと、私たち自身も肝に銘じねばならない。

 被害者には家族にも打ち明けられない人や、だまされて手術を受けて被害に気付かない人も多数いるとみられる。高齢化が進み、残された時間は少ない。国は被害実態の把握と真の救済に本腰を入れるべきだ。