劇作家、芸術文化観光専門職大学学長の平田オリザさん
劇作家、芸術文化観光専門職大学学長の平田オリザさん

 暑い日だった。路線バスを待つ間でも、全身が汗でびしょ濡れになるほどに。

 7月27日、神戸大学で五百旗頭(いおきべ)真先生を偲ぶ会が執り行われた。先生は高名な国際政治学者だが、最晩年は兵庫県公立大学法人の理事長を務められ、私にとっては直属の上司であった。

 私が学長を務める芸術文化観光専門職大学は、兵庫県立大学とともに公立大学法人の傘下にある。いわゆる1法人2大学というシステムだ。五百旗頭先生には、この性格の異なる二つの大学の舵(かじ)取りをしていただいていた。そして先生は、本学のもっとも深い理解者でもあった。

 「地域を笑顔に、世界を平和に」という本学のスローガンを先生はたいそう気に入られていた。国際関係の緊張緩和にスポーツも含めた文化の果たす役割の大きさを誰より実感なさっていたのだろう。軍事力や経済力で他国を服従させる「ハードパワー」に対して、文化や政治的価値観などの魅力によって共感を広げる力を「ソフトパワー」と呼ぶ。本学がソフトパワーを具現化する日本初の高等教育機関である点を、五百旗頭先生は高く評価してくださった。

■イデオロギーを嫌い現実直視

 多くの人が知る話だが、五百旗頭先生はスポーツはやるのも観(み)るのも心底好きな方だった。とりわけ草野球に熱心で、大学理事会の冒頭「先日はヒットを打ちました」と自慢話を伺ったこともある。

 芸術文化観光専門職大学について語るとき、野球好きの先生はよく以下のような話をなさった。

 「戦前、日本は軍事力によって西洋と互し、アジアに大帝国を築くという分不相応の夢を抱いて国家が滅亡の危機に追い込まれた。

 戦後はその反省から、経済を中心に世界から尊敬される国になろうと努力した。1980年代には『ジャパン・アズ・ナンバーワン』ともてはやされたが、それにも限界があった。

 バブルが崩壊し失われた30年と言われるようになったが、しかしどうだろう。スポーツや文化では昭和の時代よりも国際的に活躍する若者が増えている。野茂選手、イチロー選手の活躍から、ついに大谷翔平君のようなスーパースターが生まれた。世界の人々が村上春樹さんの小説を読んでいるし、日本のアニメや漫画を楽しんでいる。観光も同じで、いまや日本は、訪れたい国のナンバーワンになった。芸術と観光を学ぶ芸術文化観光専門職大学には日本の将来、日本の夢が詰まっている」

 理事会の冒頭のあいさつは、野球の話だけではなく、いつも世界情勢についての分析から始まった。私はこの講話を聞くのが楽しみだった。ロシアのウクライナ侵攻が始まってからは、これが20分以上の、ほとんど講演会のようになることもあった。

 五百旗頭先生の思想は保守本流。対米協調を基軸としながら、中国との対話も継続するというきわめて穏当なものだった。たとえば小泉純一郎元首相の靖国参拝に関しては「(首相の)靖国参拝一つで、どれほどアジア外交を麻痺(まひ)させ、日本が営々と築いてきた建設的な対外関係を悪化させたことか」と述べている。

 先生の主著『米国の日本占領政策』は、資料を丹念にあさりながら、米国の日本占領下の政策決定過程を論文というよりは歴史小説かと思われる筆致で描いている。 私の大学時代の恩師は日本の社会思想史学の泰斗、武田清子先生だった。武田先生の主著『天皇観の相剋』もまた、1945年の時点における米英豪、中国などの天皇観の対立と相剋(そうこく)を明らかにし、天皇制の存続の可否を巡る議論をドラマ仕立てで描いたものだ。

 理事会でいつも五百旗頭先生の隣に座っていた私は、会の前後に幾度か武田ゼミでの逸話をお伝えした。五百旗頭先生も興味深げに聞いてくださった。

 五百旗頭先生と武田先生は、保守とリベラルの違いはあれど、いくつもの共通点がある。兵庫県の出身であり神戸と所縁の深いこと。クリスチャンであること。そして上記のように、学問上も近い時代を扱っている。

 ただそれだけではない。何よりお二人は、現実の世界を見据えたリアリストであった。右であれ左であれ、イデオロギーを振りかざすことを嫌悪し、世界平和に日本がどう貢献すべきかを真剣に、現実的に考えられてきた。さらに、そのようなお二人であったから、書かれる文章はいつも平明で、一般市民の興味を引くものだった。 もう一点付け加えるならば、お二人ともアメリカ滞在が長く、その経験からアメリカという国家、あるいは社会の多様さ、奥深さを誰よりも理解されていた。

 国際秩序が乱れ、国内の政局も混迷する中、保守、リベラルの両陣営とも、理論的な支柱となる助言者がどれだけいるのかと少し不安にもなる。

 個人的には、いま学問の世界の片隅にいる私にとって、二人の巨星ときわめて近い距離にいられたことは生涯の宝となった。武田先生は私が兵庫に移住する前年に亡くなられた。そのことをお伝えできなかった点だけが悔やまれる。

(ひらた・おりざ=劇作家、芸術文化観光専門職大学学長)