現代社会において、人工知能(AI)は「最適化」と「効率性」の象徴である。膨大なデータを学習し、最短経路で解を導き出すAIにとって、予測不能な欠員や非効率な重複、数値化できない地縁は排除すべき「ノイズ」にほかならない。しかし、ひとたび未曽有の大災害が牙をむけばその「効率の論理」こそが最大の脆弱(ぜいじゃく)性へと変貌する。非日常において、真に機能するのは「無駄」や「余白」の中に宿る力である。地域の安全を死守する消防団が示すレジリエンス(回復力)の正体から、進むべき針路を探る。
大規模災害が発生した際、地域の安全を最前線で死守するのは誰か。自衛隊や消防士も重要な役割を果たすが、細かな形で有効に機能しているのは消防団である。彼らは水門の閉鎖から避難誘導、遺体捜索、避難所設営に至るまで、地域活動をカバーする存在であり、自らを「便利屋」と自嘲気味に称することもある。しかし、その代償は極めて重い。東日本大震災における消防団員の犠牲者数は、岩手、宮城、福島の3県で計254人に上った。これは同3県の消防本部職員の犠牲者の約9倍である。
■安全の種は「地域の余白」に
なぜ、多くの消防団員が命を落とさねばならなかったのか。それは、住民が高台へ逃れるのとは逆に、彼らが津波の襲来する海側へ水門や陸閘門(こうもん)の閉鎖のために真っ先に立ち向かったからである。
消防団の歴史は、国家権力と地域コミュニティーとの間の緊張関係の歴史でもある。明治政府時代、消防組織は地域に深く根ざしているがゆえに反政府行動の拠点として危険視されていた。しかし、1923年の関東大震災で火災による被害が出たことを受け、組織の強化へとかじが切られる。
現代において、行政機関である消防署(オヤ)と、その補助的役割を担う消防団(コ)は振り子の関係にあるとされる。財政難や人員不足により行政が引き受けきれない防災の実質的な部分を、非常勤の消防団が「独立」した形で担わされているのが実情である。
消防団の最大の特徴は、マニュアル化できない災害リスクに対する「伸縮性」にある。常勤の消防士は固定されたシフトで機能するが、想定外の事態において柔軟性を欠く恐れがある。対して消防団は、団員がそれぞれ本業を持ち、災害時に誰が現場に駆けつけられるか予測がつかない。常に「欠員」を前提とした組織形態が、逆に個々の判断能力を高め、状況に応じた「現場合わせ」のフォーメーションを可能にしている。彼らはあらかじめ決められた持ち場に固執するのではなく、隙間を埋めるように動く。この日常の延長線上にある柔軟性こそが、複合的な大規模災害において「想定内」の対応を生み出す鍵となっている。
消防団が発揮する力は、単なる肉体労働にとどまらない。阪神・淡路大震災では、倒壊家屋のどこに誰が寝ているかという情報を体感的に把握していたことが救出に役立った。日頃から一軒一軒を訪ね、時には酒を酌み交わしながら家の間取りや家族構成を知り尽くしていたからこそ、瓦礫(がれき)の下の命を推測できたのである。また、東日本大震災の遺体捜索では地元で理髪業を営む団員が貢献した。津波で亡くなり目を閉じている犠牲者の顔は、家族でも見分けがつかないことが多い。しかし、普段から客が目を閉じて髪を切る姿を見ている理容師の団員は、その顔を見てすぐに誰であるかを識別できた。当初消防団は遺体安置所の業務から外されていたが、引き入れざるを得なくなった。これらは、地域に根を張る者だけが持ちうる「生きた情報」の力である。
消防団員を突き動かすのは、地域への強い愛着と使命感、そして「われわれ意識」である。この意識の「煽(あお)り(集合的沸騰)」は危機対応に不可欠だが、時に過度な使命感となって団員自身の命を危険にさらす。このリスクを克服する処方箋として注目すべきが、岩手県宮古市田老地区の消防団が導入した「時間による活動中止」のルールである。彼らは地震発生後20分を全ての活動のデッドラインと定めた。責任感の強い団員は、水門が閉まらなければ正常に機能するまで奮闘してしまう。だからこそ、「団員を無事に各家庭へ帰す」ことを最優先とし、感情的な高揚を抑える「鎮め」の仕組みをあらかじめ組み込んだのである。
消防団員たちは、凄惨(せいさん)な遺体捜索の現場でも、「遺族の手元に戻せてよかった」という感謝の声を糧に、地域名の刻まれた「半纏(はんてん)」を着て自らを奮い立たせてきた。消防団という組織は、一見すれば非効率で脆弱(ぜいじゃく)な社会集団に見えるかもしれない。しかしその実態は、地域の文脈を深く理解し、想定外の事態に現場で柔軟に対応できる、強靭(きょうじん)なレジリエンスを備えた災害コミュニティーである。
彼らが守ろうとしているのは、単なる財産ではない。災害という非日常を乗り越え、再び日常へと回帰するための、地域のつながりそのものなのである。効率化の波の中で私たちが切り捨てようとしている「地域の余白」にこそ、未来の安全の種が隠されている。
(かねびし・きよし=関西学院大社会学部教授、災害社会学)
























