■抗がん剤、やめました/夫婦いつも一緒に
暖冬とはいえ、寒い日だった。ちょうど2カ月前の1月22日、私たちは兵庫県明石市にある「ふくやま病院」を訪れた。
4階の緩和ケア病棟に向かい、病室の名前を確認して扉を開ける。ベッドで横になっていた森脇真美さん(57)=明石市=がぐっと上半身を起こす。鼻に酸素を供給するチューブがつながっているものの、くりっとした大きな目に力がある。
森脇さんが明石市内の病院で大腸がんと診断されたのは、2年前の冬のことだ。肺や肝臓にも転移していた。
その年、春に初孫の誕生を控えていた。「今すぐ死にたくない。孫を抱っこさせてもらいたいなあって、思ったの」。森脇さんがこれまでの治療の経緯を話し始める。
抗がん剤治療は副作用がつらかった。「足も手も指先がただれて、皮もむけるの」。やけどのような痛みに苦しむ。服を着るのに時間がかかり、シャワーは冷水を浴びた。
昨年の夏、「余命数カ月」と告げられた。しばらくして抗がん剤治療をやめる。「余命数カ月って言われているのに苦しむなんてね。残りの人生、やれることが少なくなるのでやめました」
そして今年1月9日、ふくやま病院の緩和ケア病棟に入った。
◇ ◇
街の向こうに海が見える。2月初旬、私たちは同県芦屋市の高台にある市立芦屋病院に向かった。医師に案内されて少し広い部屋に入ると、ベッドが二つ並んでいた。金森英彦さん(84)と克子さん(83)夫妻=西宮市=が眠っている。「父は、母がいないと寂しがるんです」。長女の宮本亜紀子さんが言う。
昨年3月、英彦さんに胆管がんが見つかった。手術をしたが、2カ月後に再発する。通院で治療していたが、状態は良くならない。今年1月、芦屋病院の緩和ケア病棟に入院する。
英彦さんが入院した日、今度は克子さんが白血病と診断された。「しんどそうだったので風邪かなと思ったんですけど、医師に『即、入院になります』と言われ、もうびっくりしてしまって」と亜紀子さん。それでも「父も母も、離れるのは嫌がるな」と感じたため、「同室にできませんか?」とお願いした。
1月13日、克子さんと英彦さんが同じ病室に入った。「母は父を見て『あ、あー』って、ベッドの中で手を上げる感じでした。家でもベッドは隣だったので、病院には感謝しかありません」。そう言って、亜紀子さんが少し笑みを浮かべる。
私たちが話を聞いている間、英彦さんはずっと小さないびきをかいている。この4、5日、眠っている時間が長くなっているそうだ。
同じ芦屋病院の病棟でもう一人、出会った人がいる。山下芳夫さん(82)=仮名=だ。私たちが初めて病室を訪ねたのは、1月21日のこと。部屋に入る前、担当の医師に「『早く死にたい』と口にされるんです」と告げられる。
ベッドを挟んで向かい合って座る。山下さんは椅子に座り、背筋をぴんと伸ばしている。「いつね、お迎えが来てもいい状態なんですよ」。顔色は悪くなく、声もはっきりしている。
2年前の秋に直腸がんが分かり、今は肝臓に広がっている。口調はしっかりしているが、歯磨きの間、立っているのもしんどいという。
「でもまあ、家より病院にいる方が楽ですよ。家にいて、しんどいだの何だのと不愉快な顔をするのは、こっちもつらいですし…」。家族に気を使っているのだろうか。
山下さんは食事が食べられなくなってきている。
◇ ◇
今年1月から、私たちは二つの病院に通い続けた。森脇さん、金森さん夫婦、そして山下さんに会うために。それぞれ、この世を去る前に多くの言葉を残し、生きる姿を示してくれた。最初に、森脇さんの物語を届けたい。
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