1月末、病室の引き戸を開けると、いつものように山下芳夫さん(82)=仮名=が椅子に座って待っている。その日は妻の恭子さん(64)=仮名=と、2人の娘もいた。
山下さんは髪を短く刈っている。恭子さんが散髪したらしい。私たちが家族から話を聞こうとすると、山下さんは部屋を出て行ってしまった。「私は外した方がいいと思うので、ちょっと出てきます」と言って。
◇ ◇
恭子さんたちと少し言葉を交わした後、山下さんが「早く死にたい」と口にすることについてどう思うのか、聞いてみる。
「もう手術もできないって言われましてね。うじうじ言ってたら、家族に迷惑が掛かると思ってるのでしょうか…」。恭子さんが涙声になる。
次女の陽子さん(44)=仮名=が口を開く。「『来んでいい、来んでいい』って言うんです。私たちも、そのまま受け取ってはいませんけど」
山下さんは前妻をがんで亡くしている。当時、陽子さんは高校1年だった。長女は進学して家を出ていたため、親子2人の生活が続いた。
「暗黒の時代、やったんよね」と恭子さんが声を掛ける。「父も必死やったとは思うんですけど、私も反抗期で…」と陽子さん。話をしないし、洗濯物を一緒に洗うのも嫌だったそうだ。進学先は遠方の大学を選び、家を出た。
◇ ◇
2月に入り、私たちは再び山下さんの病室を訪ねる。いつもと同じように、椅子に座って待ってくれている。
「だんだんね、痛いよね。全体にね、じんわり痛いんですよ」。そう言って、手でおなかや腰をさする。
山下さんが少しずつ、人生を振り返る。「子どもが生まれた時はうれしかったね。たいした親じゃないから、とにかくかわいがろうと思ったんです。実際、かわいがったつもりです。まあ、あいつら、どんな言い方したのか、分かりませんが…」
そして続ける。
「今の女房にはマンションを残したし、子どもは2人とも所帯があって、こちらから見てる分には仲良くやってます。幸せそうです。心配事が消えていけばいいんですよ。死ぬことは怖いとも、怖くないとも思わない」
私たちが山下さんと話したのは、これが最後だった。
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