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第6部 あなたに伝えたいこと

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 3月から4月にかけて掲載した連載シリーズ「いのちをめぐる物語」の第六部「あなたに伝えたいこと」(全24回)では、終末期を生きる人たちが死と向き合う姿を見つめてきました。取材班には、読者から多くの手紙やファクス、メールが届いています。そこには自分や家族の闘病、亡くなった大切な人への思いがつづられていました。寄せられた声の一部を紹介します。(紺野大樹、中島摩子、田中宏樹)

■離れて暮らす孫のためにも

 私の主人は2016年4月、下咽頭がんで15時間におよぶ手術を受けました。主人が「言葉を失うぐらいなら死んだ方が良い」と言いながら手術を決心したのは、離れて暮らす孫の「僕たちのこれからをずっと見守ってほしい」という一言でした。

 手術は無事に終わり、発声器を使っての会話にも慣れ、言葉以外に不自由なことはない毎日でした。ですが、いつも「しゃべれないのは何よりみじめだ」と言い、心で泣いていました。

 1年後にがんは肺に転移し、病院の腫瘍内科へ転院。いろいろな抗がん剤治療の副作用と闘いながらの日々が続きました。がんは腰の骨に転移し、残された人生で今の生活を持続したいと別の病院で緩和ケアを受けることになりました。

 私は連載「あなたに伝えたいこと」を読むたび、どの家庭にも物語があることを知りました。主人は子どもを立派に育て、77歳まで現役で働いてくれました。

 語り尽くせない山あり谷ありの人生。連載の記事は涙で読めない時もありますが、これから先、主人のがんと闘いながらの生活はどうなるのか不安しかありません。

 体重36・7キロ、身長155センチ。骨と皮だけのようなやせ細った体を見ると今にも折れそうです。つらいです。

 食事を残すことが多くなり、最近はベッドで休む日が多くなりました。生活を支えるため、私はパート勤めをしています。まだまだ頑張って付き添いますが、心折れそうな日もあります。(丹波市、70代女性)

     ◇     ◇

■父の好きそうな歌をかけて

 記事を読んで、3年前に亡くなった父のことを思い出し、またうるっときています。

 父は神戸市内の病院で膵臓(すいぞう)がんを発見され、亡くなる年の春、別の病院に入院しましたが、動かせるうちにと明石市の「ふくやま病院」に転院しました。緩和ケア病棟で最期を迎えましたが、私たち身内は冷静でいようとしているつもりでも、なかなかそうはいかなかったことが今になって悔やまれます。

 親戚や友人にそういう話をすると、「精いっぱいできることを頑張ってしていた。どれだけのことをしても、後で『あーしてあげたら良かったな』などと悔やむよ」と慰めてくれました。

 あの病室で「トイレ」と「氷」ぐらいしか言わなくなった父に、どうしてあげたらいいのか分からず、何日も過ぎてからMDプレーヤーを持って行って、父の好きそうな歌をかけて、私も歌ってみました。すると無理を言わなくなった気がしました。耳はちゃんと聞こえているし、少しでも気分よくいてくれていると感じました。個室だったので、もっと早く気付けば、あと何日か多く歌を聞かせてあげられたのに…と悲しくなりました。その後わずか数日で、天国の母の所へ逝ってしまったから。

 三回忌を済ませた今になって、新たな喪失感や無力感が時々、襲ってきます。失って初めて分かる重さってあるんですね。(神戸市西区、50代女性)

     ◇     ◇

■「いつも一緒にいる」という約束は必ず守ります

 1月21日に肺腺がんのため60歳の妻を亡くしました。

 妻は2017年9月に「左肺腺がん、播種(はしゅ)あり」と告げられました。「手術も放射線治療もできず、分子標的薬を使いどれぐらい生きられるか」という状態になってしまったのです。ステージ4でした。

 病院に4週間入院した後、できることはすべてしておこうと、いろいろな場所に行きました。3人の娘たちと家族旅行をし、ハンセン病の勉強をしていたこともあって、遠方にある国立療養所にも「見学に行こう」と旅行を兼ねて出掛けました。

 18年10月に脳への転移があり、別の分子標的薬を使うなどしましたが、病気が発覚してから亡くなるまでの2年4カ月はひどい副作用との闘いでした。私たち家族はその姿がとてもつらかったです。妻は「治るのだったら我慢をするけれど延命だから…」と何度も言っていました。

 分子標的薬による下痢、皮膚疾患、味覚障害などの副作用とそれに対応する薬の服用、そして、最後は強烈な胸焼けに襲われ、食欲不振のため痩せてしまったのです。

 「絶対に苦しい思いをして死んでいくのは嫌。頼むから、楽に死なせてね」と何回も約束させられていました。

 昨年7月ごろから始まった胸焼けが11月からひどくなり、12月中旬に2回目の入院となり、年末には本人の希望で「本当は退院できる状態ではないけれど、最後だから」と家で過ごしました。

 ほぼ、寝たきりの状態だったのですが「1日に一つだけのことをする」と年末年始を過ごしました。そして、1月6日に再入院となり、妻は主治医に強くホスピスへの転院を希望したのです。

 1月中旬に緩和病棟がある病院に転院し、21日に家族に見送られ亡くなりました。最後の最後まで苦痛との闘いでした。私たち家族もつらかったです。

 あれだけ頼まれていた安らかな最期を迎えさせてあげられなかったことが残念で仕方ありません。ホスピスに入っても、意識が無くなった最後の2日間だけが「痛みを感じなかったのだろう」と思うのです。

 決してドラマのようにはいかないこと。苦痛は本人にしか分からないこと。自分で自分の死を決められないこと、を実感したのです。

 極端ですが、「死の道のり」は残酷でした。そこには生活の質の維持や向上の余地はありませんでした。ひたすら恐れおののき、我慢の連続でした。妻は当然、私も娘たちも不安の中で過ごしてきました。

 治療薬の副作用により苦しみ続け、緩和ケアと言いながらギリギリまで痛みに苦しむ。尊厳死や安楽死とは何かを考えさせられました。

 「痛みをとってほしい、眠らせて、楽にさせて」と懇願していた妻に「先生に話しているからな、もうちょっとな、そばにいるからな」としか言えなかった自分が悲しいです。無力感しかありませんでした。ずっと後悔しないようにと心に決めて、そうしてきたはずなのに…です。

 妻と生前から約束していた「決して離れない」ことを守るため、亡くなってから火葬されるまでの2日間は離れませんでした。火葬場でも、炉の前の椅子に座って1人で待っていました。「いつも一緒にいる」という約束はこれからも必ず守ります。

 3人の娘たちには「納骨壇には、必ず2人一緒の日に納めてほしい」と強く伝えています。妻を納骨はせず、私は家で一緒に過ごします。

 今、妻はゴールラインのところにいて私がゴールするのを待ってくれている、と思うようにしています。

 妻が昨年12月に入院し、亡くなるまでの1カ月余りで2・5キロ体重が減ったので「2・5リットルの涙と鼻水だ」と言うと、娘に「1リットルの涙」という映画があった、と笑われました。

 しかし、寂しくて、悲しくて、つらいです。(赤穂市、60代男性)

     ◇     ◇

■病院で考えた。死ぬ準備が何もできていなかった

 死についての記事はとても読む気になりませんでした。実際にその立場に立ってみないと、本当の自分の気持ちは絶対に分からないからです。

 数年前から終活なんて言葉が出てきました。元気な時にいくら考えても、死を目の前に迎えた時とは絶対に違ってくるだろうから、意味はないと思っていました。

 私は71歳。昨年の春、その日も元気そのもので朝の散歩を済ませました。突然息苦しくなり、女房に車で病院に運んでもらうことになりました。

 自分で車に乗り込みましたが、その数分後に意識はなくなりました。病院で心肺が停止。人工呼吸、AED(自動体外式除細動器)で甦生し、専門病院へ救急搬送。そして緊急手術、1カ月あまり入院し、現在も通院しています。

 そうなんです。この私が何の前触れもなく突然に、死を目の前というより、一度は心臓が停止してしまったのです。死についての考えが大きく変わってしまいました。どう変わったかと聞かれても、まだ心の中が整理できていません。

 病院のベッドで考えたことは、死ぬ準備が何もできていなかったことです。家族に感謝の気持ちを伝えたいなど、たくさんあります。それをせずに死ぬのはつらい。ならば、がんになって死期を伝えられた方が準備ができていいと思っていました。

 ところが、4月9日の連載記事を読んで考えさせられました。体を震わせ「怖い、死ぬのが怖い」という言葉。これは本人にしか絶対に分からないことだと思います。

 ならば、私はあの時にそのまま死んでしまったら、どんなに楽だったろうかと。そんなことをいろいろ考えている日々が続いています。

 話は変わります。タイの仏教の記事を読み、3年前のことを思い出しました。

 12月のある日、姉が入院する病院に見舞いに行った時のことです。病棟にいきなりコーラス隊による賛美歌が鳴り響き、天使にふんした女の子3人が先導して、そのコーラス隊が続いて歩きます。そして各病室を訪れ、入院患者一人一人に「元気になってください」と声をかけて回りました。

 ここ数十年、こんなに感動したことはなかったです。感動のあまり、号泣する患者さんもおられました。聞くところによると、12月のある日に行っているそうです。

 タイの仏教の記事は、ぜひとも日本の仏教関係者にも読んでいただきたいなと思いました。とにかく今、考えさせられることが多くなってしまいました。(姫路市、70代男性)

2020/4/22

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