大阪市東淀川区にある淀川キリスト教病院のチャプレン(聖職者)、藤井理恵さん(60)が語った女性は、大阪府豊中市の濱安(はまやす)久美子さん=当時(44)=という。
中学生の双子と小学生の3人姉妹の母親だ。子宮肉腫を患い、病院で約1カ月半を過ごしたのち、2009年5月15日に息を引き取った。
私たちは3月、大阪市内で夫の裕さん(58)と会った。久美子さんのことを「何事にも、真摯(しんし)に前向きに取り組む人でした」と話してくれる。子どもたちに深い愛情を注いでいたことも。
そして、入院当時を振り返った。「『怖い。死ぬのが怖い』と言って、私に何度も抱きついてきました。震えが止まらない。私はただただ、抱きしめるだけでした」
藤井さんと面会したのはこの頃だった。
「私だけがいなくなるのです」と涙を流す久美子さんを前に、藤井さんは「人の慰めではどうにもならない」と感じた。
普段なら、初めての面会で開くことはないという聖書を開く。その中の「死んでも生きる」という言葉を伝える。「存在は残る。死が終わりじゃない」と語り掛け、病室で祈りをささげた。
その日を境に、久美子さんの震えは止まったという。裕さんは「藤井さんの言う世界を『信じ切る』という気持ちが生まれたのだと思う。穏やかに旅立つ決心ができたのでしょう」と振り返る。
久美子さんはその後、娘たちに宛てたビデオレターの作成に励むようになる。亡くなる直前の5月11日と12日。化粧をし、裕さんが回すカメラに向けて話した。
「一日一日大切に夢に向かって楽しく生きてください」
「これからもいつも明るい濱安3姉妹でいてくださいね。天国から見守っています」
卒業、成人、結婚など節目ごとのメッセージを残し、全部で「14通」になった。
久美子さんが伝えたかったこととは-。私たちが裕さんに尋ねると、「大好きだよって、伝えたかったんだと思います」と答えが返ってきた。
今春、22歳の三女が大学を卒業し、姉妹3人とも社会人になった。裕さんは久しぶりにビデオレターを再生した。命は尽きても、失われない母の愛情がそこにあった。
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