金森英彦さん、克子さんに続いて、兵庫県芦屋市立芦屋病院で出会った人たちの話を届けたい。
私たちは4階にある緩和ケア病棟をたびたび訪れていた。山下芳夫さん(82)=仮名=に会うためだ。山下さんはいつもベッド脇の椅子に座って待っている。
1月23日朝。病室のテレビは国会中継を映している。「安倍さんもなんだかね…」とつぶやく。ベッドを挟み、向かい合って座る。顔色は良く、体調は良さそうだ。
「きょうは、おかゆを食べました。ちょっとだよ。飲んだら終わり」と笑う。
2年前の秋に直腸がんが分かり、今は肝臓に広がっている。今年1月、芦屋病院の緩和ケア病棟に入った。食事も取れなくなってきている。
山下さんには、妻と、前妻との間に生まれた2人の娘がいる。前妻は29年前、胃がんで亡くなった。48歳。次女が高校生になった春だった。
「入学式には行けなかったから、次女が制服着て、病室に行ってね」。山下さんがぽつり、ぽつりと言葉を続ける。最初は胃潰瘍だと言われたこと。毎日、病院に通ったこと。妻がいなくなり、次女との2人暮らしが3年間、続いたこと。話すうちに涙声になり、鼻を手でこすり始める。
「京都のお寺の納骨堂に骨があってね。まあ、命日とかに行くんだけど…。去年の4月、もう最後だと思って、1人で行って来ました」
どんなことを話してきたのですか?
山下さんは両手を前に伸ばして、手を振るしぐさをする。「バイバイって…」。胸が詰まったようで、ほとんど声が出ない。
私たちは、山下さんの主治医から「早く死にたい、とよく口にする」と聞かされていた。どうしてだろう。本心なのだろうか。
「もう何かを期待するのは無理だと思うんですよね。死ぬのは分かってるんですから。まあ、家族に迷惑を掛けたくないんですよ。子どもたちには、それぞれの生活があるんですから」
家族であっても、自分のことであれこれ悩ませ、見舞いや身の回りの世話などで時間を割いてほしくない。だから、早く逝きたい-。そういう意味のようだ。
家族はどう思っているのだろう。私たちは妻と2人の娘に会うことにした。
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