兵庫県芦屋市立芦屋病院で、金森英彦さん(84)=西宮市=が亡くなって6日後の3月2日、妻の克子さん(83)が家族に見守られて息を引き取った。「あれよあれよという間に亡くなりました」。長女の宮本亜紀子さんが言う。
「寂しがり屋の父が母を呼んで、母も行きたかったんだろうなって。でも、ここまで早いとは…」
英彦さんが亡くなって、克子さんは夫婦で一緒に入っていた病室から別の部屋に移った。しかし、白血病の病状が悪化したため、亜紀子さんらきょうだい3人が寝泊まりして見送れるよう、英彦さんと過ごした広い病室に戻ることになる。
3月2日、ベッドを移して数時間後に容体が急変する。「同じ部屋だから、父も迎えに来やすかったのかな」。亜紀子さんはそんなふうに理解した。
克子さんの通夜は3月4日、葬儀・告別式は5日に執り行われた。遺族は2週続けて同じ葬儀会館に通った。
3月中旬、私たちは西宮市にある英彦さんと克子さんの自宅マンションを訪れた。
もともと神戸市東灘区の一軒家に住んでいたが、高齢でも暮らしやすいようマンションをリフォームし、昨年春からここで過ごしていた。
リビングの一角には、骨つぼと遺影が二つずつ並んでいる。テニスクラブのタオル、携帯電話…。遺品も二つずつ置いてある。
亜紀子さんは「悲しいけれど、これで良かった。一緒に逝けて幸せだったと思います。私も納得できている。きょうだいが笑顔でいられます」と話してくれた。
そして、「2人は『いつも仲良く』という自分たちの道を貫いた。今もこうして並んでいますし」と、骨つぼの方に目をやる。四十九日法要は同じ日に行うそうだ。
私たちはマンションを出た後、芦屋病院に向かった。英彦さんの主治医だった緩和ケア内科の大前隆仁医師(36)に聞きたかった。金森さん夫婦のことをどうみていますか。「同じ部屋にいたことで、お父さんは長生きした。お母さんは追い掛けた。気持ちが体を引っ張ることがあるんです」と大前医師。
2人は大切な人がそばにいることの意味を教えてくれた。私たちはそう思っている。
2020/4/2【募集】ご意見、ご感想をお寄せください2020/3/22
【読者からの手紙】(1)「私ね、幸せだったよ」2020/4/22
【読者からの手紙】(2)離れて暮らす孫のためにも/「いつも一緒にいる」と約束2020/4/22
(24)最期の姿はメッセージ2020/4/19
(23)「死」は隠すものじゃない2020/4/18
(22)亡き父の話題、避けてきた2020/4/17
(21)日常の中にある「死」2020/4/16
(20)「すーっと、命を手放す」2020/4/15