ブーン、ブーンと、室内に空調のモーター音が響いている。タイ北部・ウッタラディット県にある県立病院で、私たちは通訳の浦崎雅代さん(47)の話を聞いている。
浦崎さんの父、文夫さんは沖縄県警の警察官だった。45年前、暴力団による事件の警戒中、道路脇の車内にいたところへ、猛スピードの車が突っ込んだ。
運転席の文夫さんは即死。運転していた19歳の少年は無免許で、酒を飲んでいた。当時の地元紙には、ひしゃげた軽自動車の写真が掲載されている。
沖縄が本土復帰した年に生まれた浦崎さんは、まだ2歳だった。
◇ ◇
「母はね、幼い私と妹にずっと、『お父さんはアメリカに仕事に行ってるのよ』って、説明してきたんです」
4、5歳の頃、母にどこかの寺に連れて行かれ、納骨堂にある骨つぼを目にする。「ここに人の骨が入ってるんだよ」。そう言われて、父は死んだと直感したそうだ。
「でもね、母に父のことを尋ねたりはしないんです」。浦崎さんは、遠い日の心の揺れをはっきり覚えている。
母が父の死について教えてくれたのは、小学5年の時だった。地元ラジオ局のアナウンサーが交通事故遺族への取材で家にやって来た。そこで初めて告げられた。
「母に話を聞かされた後、ずっと泣いてましたね。父が死んでいたことが悲しいんじゃなくて、『ああ、お母さんが本当のこと言っちゃった』っていう気持ちが強かったんです」
心が追いつかなかったのだろうか。浦崎さんは鬼ごっこや駆けっこなど、急に幼い遊びをするようになる。
父の死を隠され、父の話題を避けてきた子ども時代。「幼い頃に父を亡くし、悲しみを出したらだめって思って、心にふたをしちゃってましたね。いい子になったところもあります」。そう話す浦崎さんの目は悲しそうだ。
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「『死』は隠さないといけないんだなあって。そう思って生きてきましたから…」。
そんな浦崎さんの心を解き放ったのは、大学時代に訪れたタイでの出来事だった。
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