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第6部 あなたに伝えたいこと

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 3月から4月にかけて掲載した連載シリーズ「いのちをめぐる物語」の第六部「あなたに伝えたいこと」(全24回)では、終末期を生きる人たちが死と向き合う姿を見つめてきました。取材班には、読者から多くの手紙やファクス、メールが届いています。そこには自分や家族の闘病、亡くなった大切な人への思いがつづられていました。寄せられた声の一部を紹介します。(紺野大樹、中島摩子、田中宏樹)

■今も息子から電話がかかってくる気がして

 昨年、思いがけなく2カ月余りの入院生活を余儀なくされました。退院後、終活を考える年齢になったと自覚させられた頃、「いのちをめぐる物語」の連載が始まりました。第一部が終わった1カ月後、次男が理不尽な事件の被害者になり、仲間と共に命を絶たれました。京都のアニメ制作会社で起きた事件です。

 子が親を見送ることが当たり前と思っていましたので、私たちにとって青天のへきれきでした。

 次男は私の入院中、何度も見舞いに来てくれました。月に1度、孫たちの顔も見せに来てくれました。亡くなる1カ月ほど前の夜、「気を付けてな、親父もな」と、車の窓越しに交わした言葉が最後の会話になりました。

 息子が亡くなり、私は息子のことを何も知らないことにがくぜんとしました。仕事のこと、家庭のこと、孫たちのこと。息子が携わった作品をネットで調べたり、仲間に尋ねたり、嫁に聞いたりしました。私たちが想像していた以上に努力をし、きちょうめんで、健康に注意して、嫁や孫に優しく堅実に生活していました。このようなことを息子の口から直接聞いておけば良かったという思いです。

 今、私から息子には「ありがとう」の言葉しかありません。息子を見送る時、対面する勇気がなく、薄い布越しに顔を触ることしかできなかったことが悔やまれます。

 いろいろな別れがあります。心の準備ができて、思いを伝えられる人。突然の別れ。親が子を見送ることは、親としては受け入れることができません。信じられません。今も息子から「もしもし」と、気だるい声で電話がかかってくる気がしてなりません。

 幼い孫たちが分別のつく年になったとき、父親の死の真実をどのように伝えるか大きな課題が残りました。私たち夫婦も残り少ない人生、孫たちの成長を楽しみに精いっぱい生きていきたいと思います。(神戸市、70代男性)

     ◇     ◇

■「私ね、幸せだったよ」

 この世に生を受け、そして死を迎えるという輪廻(りんね)。十人十色と言うけれど、そこにはさまざまな人生があります。

 ある日、がんの宣告を受けた友。葛藤の末、受け入れざるをえない諦め。決心し、自分の終着駅へ向け、覚悟の日々。最後の日まで笑顔を見せてくれ、「私ね、幸せだったよ」って、思わず返す言葉を詰まらせる別れの言葉でした。どんな思いで言ったのか、残された私に宿題を残して旅立っていきました。

 福島県にいる友は、東日本大震災で津波に遭遇。勤め先の介護施設の入所者さんを連れて逃げる途中、田んぼのぬかるみに足を取られ、後から迫った黒い津波に襲われました。

 「死ぬんだ」と一瞬の覚悟の後、引いた波は彼女を置いていき、ぬかるみに取られた足のおかげで命を取りとめました。今は介護施設を立ち上げています。

 生きていくのがつらくて自ら命を絶つ人もいれば、生きたくても明日の来ない人もいます。与えられた命を大切に、後悔が残らないよう、精いっぱい生きていきたいものです。(淡路市、70代女性)

     ◇     ◇

■医師の対応、今も疑問

 母は2016年にこの世を去りました。長年にわたり、パーキンソン病と闘ってきました。要介護4になり、ショートステイの夜に熱があり、施設から病院に救急搬送されました。

 入院は長引きました。熱が続き、完全看護でしたが、家族の付き添いを言われました。その病室で主治医から「延命措置はしません。楽にしてあげましょう」と、こちらの意向を尋ねることなく言い渡されました。母のベッドの横で…。

 母はしゃべることはできなくなっていましたが、頭はしっかりしていて、その言葉を聞いていました。私は言い返すことができませんでした。

 医師が命をどう思っているのか不信感を覚えました。母にあんなこと言われて悔しいね。元気になって見返してやろうねと言い、3日間付き添いました。母は持ち直してくれましたが、すぐさま退院を言い渡され、転院先の病院で最期を迎えました。医師の対応には今も疑問があります。(丹波市、50代女性)

     ◇     ◇

■姉の「生きる」に寄り添えた

 今年1月、56歳で姉が旅立ちました。食道がんでした。亡くなる1年半ほど前に診断を下され、余命1年という宣告を受けていました。

 抗がん剤、放射線治療を重ねましたが、独身で1人暮らしだった姉は、それまで通りの自立した生活を望み、仕事に復帰しました。職場の理解もあり、どうにか続けることができましたが、昨年10月には熱が下がらず、肺炎で入院。体調は決して良くはありませんでしたが、在宅医や訪問看護師に頼りながら、自宅で過ごすことを望み、たった5日間でしたが思いをかなえることができました。

 姉が最後に過ごす場所として選んだのは、神戸の病院の緩和ケア病棟でした。痛みを取り除くこと、その人らしく生きてもらうこと、NOと言わないこと-。そうした病院の思いに助けられながら、最後まで泣き言を言わず、姉は生きることができたのだと思います。

 姉の「生きる」に寄り添えたことは、私のこれからの「生きる」につながっているのだと感じています。(神戸市垂水区、50代女性)

     ◇     ◇

■病気とうまく付き合って

 私は5年前と1年前に、直腸がん、子宮がん、胆管がんの手術をしました。その間、抗がん剤治療や放射線治療と、毎日、大変苦しい思いをしました。

 でも、今、私は元気に病気と向き合っています。何事も前向きに考え、私より大変な人がいるのだと、自分自身を奮い立たせています。

 しかし、再発という不安はいつも心のどこかにあります。記事を読んで、自分の最期はどうするか、どうすれば良いのかと考えさせられました。

 ただ、今の私ができるのは、毎日、毎日を大切に、楽しく生活していくことだと思います。

 今、私の体にある病気とは、うまく付き合っていければいいなあと考えています。朝、目が覚めると「今日一日暴れないで、おとなしくしていてネ」とおなかをなでて、一日が始まります。(加古川市、70代女性)

     ◇     ◇

■自分ががんになるなんて

 「あなたに伝えたいこと」のシリーズを読みながら、人ごとではないという思いでいます。

 私も昨年11月末、子宮体がんと診断され、本当に「ええっ」という驚きでした。頭では、死亡原因1位はがんと分かっていました。けれど、自分ががんになるとは思ってもみなかったのです。

 12月に入院、手術。年末に帰宅しました。1、2、3月は血液検査、コンピューター断層撮影(CT)など、月2回は通院。先日、今のところ術後はいい状態だと、医師から告げられました。

 私が「うれしいです」と言うと、若い先生が「私もうれしいです」と言ってくださいました。ありがたい思いで帰りました。

 今まで、「あと何年生きられるか」など考えずにきました。先日、新聞にがんによる5年後、10年後の生存率が載っていました。子宮体がんは80%を超えていました。いいデータに力をもらいながら頑張るつもりです。(加古川市、70代女性)

     ◇     ◇

■先生が告知。本人より家族の方が泣きました

 昨年8月末に主人が入院し、新聞でこの連載シリーズを見つけました。自分と重なる部分やこれからの覚悟の気持ちなど、人ごとには思えずに読み始めました。今回、この手紙を書く気持ちになったのは、自分の心の整理と前に向かって歩き出すための区切りにしたいと思ったからです。

 昨年8月に主人に肝臓がんが見つかりました。肝臓の半分以上にがんが広がり、手遅れの状態。治療法としては抗がん剤しかないが、効果は期待できないという結果でした。

 年齢も84歳でしたし、家族と相談して告知はせず、元気な間に長年会っていない兄弟たちと会ったり、好きなことをさせてあげようと思いました。できれば自宅でみとりたいという希望のもと、先生やケアの人たちと相談を始めました。

 その矢先、8月29日に背骨の圧迫骨折が見つかり、入院となってしまいました。それでも、骨折が完治して、車いす生活ならできるだけ自宅看護をしようと思い、本人にも希望を持たせました。リハビリを頑張ってくれ、一時は自分で車いすに移り、歩行練習ができるまでになり、2カ月後ぐらいには家に帰れるという希望が持てそうでした。

 そんな時、がん細胞の周囲から出血があり体を動かせない時間ができて、筋力が低下してしまい、車いすに座ることもできなくなってしまいました。ベッドに寝たきりで、自宅に帰る希望はかなわなくなりました。

 同時に、骨や肺などにがんの転移が見つかり、痛みが強くなりました。12月には緩和ケア病棟に移る準備をした方が良いと先生にも言われ、病名を告知することになりました。

 家族が見守る中、先生が告知をしました。本人から「はっきりと覚悟はできていた」と言われた時は、本人より家族の方が泣きました。

 1月に入り、いよいよ緩和病棟に移りましたが、肺に水がたまって酸素吸入のチューブを付けなければいけない状況になりました。日々、食欲も無くなり、目に見えて弱っていきましたが、つらい顔をしませんでした。

 2月上旬の私の誕生日をお祝いするよ、と看護師さんに励まされ、その日を笑顔で迎えることができました。

 この頃は食事はほとんどできず、アイスクリームやプリンなどしか口にしなくなりました。待ちに待っていた息子の家族の顔を見て、翌朝静かに亡くなりました。

 3月下旬に四十九日法要を終えました。亡くなって今日まで、いろいろな準備に追われてなんとか時間が流れましたが、私は何をする気もなく、時間を持て余す日々でした。何か自分で踏ん切りをつけなくてはと思い、この手紙を書くことにしました。

 こうして手紙を書くことで、自分でも一歩を踏み出すことができたように思います。心の整理の後押しのきっかけになれました。(神戸市東灘区、70代女性)

2020/4/22

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