「さあ、体を手放していきましょう」
ベッドに横たわる男性の耳元で、僧侶のスティサート師(41)がささやく。男性は目を閉じ、口を少し開けている。点滴と酸素供給の管が腕と鼻につながっている。ベッドの周りを家族が囲んでいる。最期が近いようだ。
「その時が来たら、体を手放していきましょう」
あの世へ送り出すような言葉に、どきりとさせられる。
ここはタイ北部のウッタラディット県。首都バンコクから約500キロ離れた田舎町だ。私たちは市街地にある県立病院にいる。
日本の医療機関の取材を通して、私たちは、死が近づいている患者に寄り添うチャプレン(聖職者)の存在を知った。仏教国のタイでは僧侶が病院を巡回すると聞き、訪れることにした。
スティサート師はタイ東北部にあるスカトー寺の副住職だ。定期的に病院を回って、患者や家族の話に耳を傾ける。医師や看護師で構成する緩和ケアチームのメンバーでもある。今回は5日間の日程で病院を訪れている。
「怖くないですよー。心を安らかにしてください」
「逝っても、後のことは心配しなくていいですよー」
スティサート師は主に重篤な患者の元に足を運び、看護師から状態を聞き取って1人ずつ優しく声を掛けて回る。巡回の途中、さきほどの男性が亡くなったと報告が入った。「体を手放していきましょう」と声を掛けられた男性だ。
それにしても「体を手放す」とはどういう意味なのだろう。院内を回り終えたスティサート師に尋ねると、人懐っこい笑顔で答えてくれた。
「人が死ぬことは自然のサイクルの一部です。誰にも訪れることです。『体を手放して…』という言葉は、壊れそうな家にしがみつくのは苦しいですよ、といった感じです。もうそこに死期が迫っている患者に使うようにしています」
さらに、言葉を続ける。「体がだめになっても、心が元気ならいいんです。体は自分ではなく、物体なんです。タイの多くの人は、生まれ変わりを信じているんですよ」
体が「死」を迎えても、そこでぷつりと終わるわけではない。心は生きている。そういうことだろうか。
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