2月24日朝、兵庫県芦屋市立芦屋病院の病室で、山下芳夫さん(82)=仮名=は息を引き取った。妻の恭子さん(64)=仮名=と2人の娘たちにみとられて。
3月半ば、私たちは宝塚市にある山下さんの自宅を訪ねることにした。お願いして、次女の陽子さん(44)=同=にも来てもらう。
私たちは陽子さんに聞きたいことがあった。
先日、陽子さんは父親を嫌っていたと言っていた。ただ理由ははっきり分からなかった。何があったのだろう。あらためて尋ねてみる。
「私もこの前、取材を受けた後、何でやったんやろって考えてたんです。そう、ずーっと、心の中に封印していたことがあって…。父が、母の病気のことを言わなかったんです。『胃潰瘍や』って言ってて」。陽子さんの目に見る見るうちに涙がたまる。
山下さんの前妻で陽子さんの母親は29年前の春、胃がんで亡くなった。陽子さんは高校生になったばかりだった。葬儀の日、親戚が「がんやって」と話すのを姉が聞き、初めて知る。
「父を許せなかった。もし、がんだって分かってたら、私ももっと違う態度を取れたのに、できることがいっぱいあったのに…」
悔しかったのだろう。陽子さんは父親を避けるようになる。大人になっても、わだかまりは消えなかった。
山下さんが芦屋病院の緩和ケア病棟に再入院したのは、今年1月のことだ。家が近かったこともあり、陽子さんは時々、病室をのぞくようになる。「きょうはご飯、何作るんや?」「串カツにしよかなあ」。親子の何げない会話が病室に響く。
「病院で2人で話す機会があったのは、良かったと思ってます。2人きりの会話って、うーん、いつ以来ですかね」と陽子さんが振り返る。
最期の日々について話しているうち、陽子さんは落ち着いた口調に戻っている。
病室で撮った写真がある。ベッドに横たわる山下さん。頭をなでる恭子さん。そして長女と陽子さんがいる。みんな笑っている。
山下さんは生前、「早く死にたい」と言っていた。妻や娘たちに負担を掛けたくない、だから-。不器用な人だったと思う。でも、ずっと家族のことを考えていたことは、よく伝わってきた。家族にも、私たちにも。