私たちが、明石市のふくやま病院と芦屋市の市立芦屋病院で取材を始めたのは、1月下旬のことだった。それぞれの緩和ケア病棟などで、終末期を生きる5人に出会った。
それから約3カ月、5人はもういない。ただ、私たちの取材ノートには、死と向き合いながら語られた言葉や生きざまがはっきりと残る。5人は何を考え、何を伝えてくれたのか-。
◇ ◇
ふくやま病院で出会った森脇真美さん(57)は、大腸がんと診断されてからの日々を語ってくれた。
抗がん剤治療を再開した森脇さんは、医師から余命を告げられると、悩みながらも「私にとって残りの人生を生き抜くのは、抗がん剤を頑張ることじゃない」と決意する。
それからは、友人や親戚にたくさん会い、家族との時間をいとおしんだ。入院先から最後の帰宅では、夫や娘、孫たちとにぎやかに食卓を囲み、笑って過ごした。
自分にとって大切にしたいものは何なのか。迷いながらも、森脇さんは最後の日々を自分で選び、決めた。
芦屋病院では、胆管がんの金森英彦さん(84)と白血病の妻、克子さん(83)に出会った。2人が最後まで一緒にいたいという思いを、家族や主治医が理解し、「夫婦同室」という形でかなえた。並んだ二つのベッドが、大切な人がそばにいる意味を教えてくれた。
発達障害がある子どもの支援に長く関わり、「幼き方々や弱き立場にいる方々のことを大切にする者でありたい」と願った山田麻子さん(67)=仮名=は、記事が掲載された翌日の4月7日、息を引き取った。
数日後、私たちのもとに山田さんから手紙が届く。自身が3月末に書いたもので、亡くなった後、親族が投函(とうかん)したようだ。そこには、家族や友人、病院関係者への感謝などがつづられていた。便箋6枚の丁寧な手紙を読みながら、私たちは「山田さんらしい」と思う。
「最期に、その人の生きざまが凝縮される」と教えてくれたのは、淀川キリスト教病院の名誉ホスピス長、柏木哲夫さん(80)だ。柏木さんは「人はみな、死んでいく力を持っている」とも言った。
僧侶が病院で臨終に関わる仏教国のタイでは、日本よりもずっと「死」が日常に近く、「死は隠すものではない」と教えられた。
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取材を通じて、私たちが感じたのは、一人一人違う、自分らしい最期があることだった。病院で出会った5人は、死を前に心が揺れながらも、自分の言葉で、態度で示してくれた。
連載の終わりに、芦屋病院に入院していた山下芳夫さん(82)=仮名=の妻から届いた手紙について記したい。
口下手だけど、いつも家族を大切に思っていた山下さん。妻は手紙に「彼と共に暮らせたことを幸せに思い、人生を再スタートさせようと決意しています」とつづっていた。
あらためて思う。最期を生きる姿は、周囲の人たちへの「メッセージ」なのだ、と。そして日々を生きる人たちを、そっと支えてくれる、と。
=おわり=
(紺野大樹、中島摩子、田中宏樹)
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