愛しているからこそ、愛猫の病気が完治しないと分かりながら闘病生活を送っている時、飼い主の心身は限界に至ることも多い。
蒔子(マキシ)ちゃんの飼い主さん(@maximum20110514)は愛猫の腎不全と2年間向き合う中で、重度のうつや心身症を発症。脳への圧迫感や頭に血が登るような感覚が登るような感覚、体中の激しい筋肉痛に今も苦しめられている。
■先住猫とは対照的な見た目の猫を譲り受けて…
飼い主さん夫妻は、もともと長毛の白猫・美雷(みらい)ちゃんと暮らしていた。共働きだったため、日中に美雷ちゃんが感じる寂しさを歯がゆく思っていたところ、2011 年の初夏に偶然、美雷ちゃんと同じ日に生まれた蒔子ちゃんと譲渡アプリで出会い、ブリーダーから譲り受けた。
当時、蒔子ちゃんは生後3カ月。ポジティブで、感情が態度に出る分かりやすい子だった。
美雷ちゃんに甘えたくても逃げられてしまうため、蒔子ちゃんは飼い主さん夫妻の体に乗って眠ったり、奥さんの首元で喉を鳴らしてフミフミをしたりするように。
「とても賢くて素直で、私たちの言葉や意思、態度を理解していました。何に対しても興味津々。特に食べ物は何でも欲しがる食いしん坊でした」
■急性腎不全が判明して“自分たちの無知さ”を猛省
急性腎不全が発覚したのは、蒔子ちゃんが10歳になった2021年の春。すでに左の腎臓がほぼ機能していないほど状態は悪かった。また、尿管結石も併発。獣医師からは「いつ亡くなってもおかしくない。結石が詰まったままだと3日持つかどうか…」と、余命宣告にもとれる言葉を告げられた。
「腎不全になったのは、私たちが無知だったから。私たちが蒔子を殺してしまったんです」
そう思うのは、かわいさゆえに人間用のハムを奪う姿を見逃していたことが急性腎不全の発症につながったと考えているからだ。
実は飼い主さんが初めて迎えた猫は、美雷ちゃん。美雷ちゃんは人間の食べ物に興味を持たなかったが、蒔子ちゃんは食べているものをちょうだいとアピールするように。
グイグイ来るその姿が新鮮でかわいくて、蒔子ちゃんが6歳になった頃から「少しなら…」と、ハムなどをあげるようになったそう。すると、蒔子ちゃんは目を離した隙にハムを強奪するようになった。
「ダメだとは分かっていたのに、毎回『また取られた』と気をつける程度しかしなかったんです」
■うつや心身症と闘いながら「急性腎不全」を治そうと足掻いた涙の日々
動物病院で病名を告げられた日、飼い主さんは奥さんにショックを与えないよう、「大丈夫、先生は薬を飲んでたら治るって言ってたから!」と嘘をついて励ましたが、その日から自身は眠れなくなった。
リビングで眠るようになり、奥さんに気づかれないように毎晩、寝ながら声をひそめて泣いたそうだ。そんな時、蒔子ちゃんは心配して、そばへ。涙を舐め、慰めてくれた。
「涙は止まらなかったけれど、心配をかけないように『大丈夫やで、蒔』と笑顔を作って、蒔子をいっぱい撫でました」
現代の医学で、猫の腎不全を治すことは難しい。だが、家族はなんとか治せないだろうかと悩み、家を売り、共に仕事を辞め、猫の腎不全についての情報を集め続けた。同時に、容体が急変した時、すぐに対処できるよう、夫妻のどちらかは蒔子ちゃんのそばにいるように心がけていたという。
「私は蒔子の病気が進行するにつれて、うつと心身症が激しくなっていき、呼吸困難を起こして何度も救急搬送されました。眠いのに1日に2時間も眠れなくなり、全身の筋肉がつったような激痛も感じて…。体に力が入らず、手が痺れて箸を持つこともできなくなりました」
蒔子ちゃんは数カ月から半年ほどのペースで尿管に大きな結石ができて、そのたびに命の危機にさらされたが、結石がバラけたり、腎臓内に戻ったりしてなんとか命を繋ぐことができた。
だが、結石が詰まるたび、腎機能は急激に低下。闘病から1年半後には末期の状態になり、自宅で1日2回の点滴をするようになった。
獣医師は療法食を与えるようにいわれたが、ほとんど食べずに体重が減少してしまったため、オーガニック食や鶏肉や魚を与えたという。
「無加工で自然由来のフードを探しては食べてくれるかを試し続けました。おやつは、食べやすいサプリ。飲み水は、人間の赤ちゃん用のものをあげていました」
■遺された愛猫や家族がペットロス後の支えになったけれど…
闘病から2年3カ月ほど経った2023年7月15日午前2時ごろ、数日前から寝たきりだった蒔子ちゃんは残された力を振り絞るかのように自ら飼い主さんの太ももに頭を乗せて、ぐったりしながらも、今まで見たことがない目でじっと見つめてきた。
「自分の最期を理解しているようでした。私たちのことを心に刻み、最期に甘えたかったのでしょう」
大丈夫やで。いつまでもオレも奥さんもお姉ちゃん(美雷ちゃん)もずーっと一緒におる。安心して寝てええで--。そう伝えると、安堵したのか蒔子ちゃんはスヤスヤ眠った。
それから約8時間後、蒔子ちゃんはリビングにいた飼い主さんたちの横で数回、足を蹴るような痙攣を起こしたそう。素早く抱くと口呼吸を5回ほどし、家族の顔を見たまま、息を引き取った。
息絶えた愛猫を前にして出たのは、「よく頑張ったね、今までありがとう」という言葉ではなく、「大丈夫。みんないつまでも一緒におるからな」という心の声だった。
時間は戻せないから、いつまでも悲しみに暮れていては残った家族や愛猫を幸せにできない。メソメソする時間があるなら、遺された家族を幸せにするために使うべきだ。
美雷ちゃんがいてくれたこともあり、ペットロス後、飼い主さんはそんな使命感のもとに生きてきた。だが、2025年1月20日に美雷ちゃんは逝去。なんとかバランスをとっていた心は不安定になった。
「"ペットは家族ではない”という強い意思で飼わなければ、ペットロスの苦しみを避けることはできないけれど、そう思う人は動物に情を与えて暮らしません。動物は純粋で素直だから、愛情を注げば倍返ししてくれる。そんな大切な家族だから、失った時、心に深く大きな傷ができるのは自然なことです。ペットロスの苦しみは、"愛猫が先に逝く"という避けられない現実を受け入れるだけの心の強さや覚悟を事前に持って迎えなければ避けて通れないことだと思います」
飼い主さんは自身が悲しみに逆らって無理をした結果、心の深くて消えない傷が身体的な症状を引き起こす苦しさも体験したからこそ、自分に鞭を打ちすぎないことの大切さも説く。
愛猫は自分にとって、人生そのものだった--。その言葉に込められた愛や悲しみ、嘆きは猫飼いにとって痛いほど分かる感情ばかりだ。ペットロス前後の飼い主に対する心のケアがほぼないこの社会で、私たちはどう愛猫を看取り、自分を立て直せばいいのだろうか。
人間の家族だけでなく、動物の家族を亡くした人へのグリーフケアがより重要視され、悲しみをひとりで抱えなくてもいい社会になってほしい。
(愛玩動物飼養管理士・古川 諭香)