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阪神大震災で五百人を超える子どもか親を亡くしていた-。被災地を歩き、震災遺児の調査を行った民間の奨学団体「あしなが育英会」(東京)。十六日、約一カ月にわたる調査結果を発表したが、確認しただけで遺児は五百四人、未確認分を含めると六百四十一人にもなった。そのうち、両親とも失った震災孤児は百三人。震災から二カ月たち、震災遺児の全容がようやく明らかになった。同会は今後、経済的、精神的支援をしていく。
二月末から神戸市中央区の福祉施設で暮す秋元清美さん(三六)と五人の子どもたち。八人の大家族だったが、住んでいた同区宮本通の木造アパートが全壊。建設作業に就きながら一家を支えた茂雄さん(三九)と二女幸絵さん(八つ)が亡くなった。残された六人が、六昼と四畳半の二間で生活する。
下の三人の子どもは父の死がまだよく分からないが、長女和美さん(一四)と長男剛君(一一)が明るく振る舞い、必死で母親を助ける。病弱だった清美さんも最近やっと元気を取り戻した。
落ち着いたら勤めを探さなければという清美さん。「地震のことはもう思い出したくもない。五人の子どもをしっかり育てることでいっぱいです」という。
また、兵庫県立芦屋南高三年の須磨智代さん(一八)は、同市東灘区の自宅が全壊、母親を亡くした。短大進学は震災前に決まり、観光科に進むことに母が最も喜んでくれたという。
現在は東灘区内の小学校で避難生活を送る須磨さん。「まだ気持ちの切り替えには時間がかかりますが、短大で旅行関係の勉強を一生懸命やりたい。母に誓ったことだから」と話す。
同会の調査は、震災の死亡者名簿から子どもを持つとみられる二十-五十九歳の千七百十八世帯を抽出。全国の交通遺児や学生ら延べ八百八十人が被災地に集まり、一軒ずつ訪ね歩いた。
それによると、確認できた遺児は三百四世帯、五百四人。行方が分からないケースを合わせると三百八十六世帯、六百四十一人と推計できるという。
確認分のうち、父親を失ったのは九十九世帯、百七十四人、母親を失ったのは百四十世帯、二百二十七人。両親を失ったり、父(母)子家庭で父(母)を失った子は六十五世帯、百三人。親とともに死亡した子どもは百七十九人いた。
遺児になったのは高校生が百十九人で最も多く、小学生百五人、大学生・専門学校生百一人、中学生八十七人、就学前児童五十七人。教育への出費が大きい高校、大学、専門学校を合わせると全体の四四%を占める。
避難先は親せき百二十四世帯、避難所三十四世帯、知人十三世帯、仮設住宅七世帯、病院四世帯など。遺児たちが元の場所に住めるケースはほとんどない。
同会では既に三十四人の遺児に奨学金の貸与を決定。今後、募金で集まった約一億八百万円を遺児らに十五万円ずつ配布するほか、保護者が地震の重度後遺障害で働けなくなった「準震災遺児」も支援していく。
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